作者:ぶきっちょ
「あなたの余命は、あと10年です」
そう告げられた瞬間、時の流れが止まったような気がした。
夢なんじゃないか、と思った。
でも、いつまでたっても目が覚めない。
病院を出て、家に帰っても。
ベッドに寝転んで、ついには夜を迎えても。
薄暗くて先の見えない、どろどろとした夢が続いている。
ぐうう、という音が静かな部屋に響き渡った。
――こんなときでも、腹が減るのか。
どうでもいいけど、と思った。
大学を卒業して、働き始めてもうすぐ2年。
仕事にも慣れて、これからってときに。
思わず、握った拳を壁に叩きつける。
間髪入れず、隣人から倍くらいの強さで壁を叩き返される。
「…もう、どうなってもいいや」
*
僕は今、無人島にいる。
どうせ死ぬなら、と、1度やってみたかったことをやることにしたのだ。
美女を集め、島を貸し切り、思い切りバカンスをする。
仕事なんてすぐに辞めてしまった。
しばらくは貯金があるし、足りなくなったら借金すればいい。
どうせ死ぬのだから。
…とはいえ、これがそこまで面白くない。
美女たちはワガママし放題だし、貸し切った島も1時間もいたら飽きてしまう。
結局僕は、静かなビーチを見つけ、いかだボートの上でひとりプカプカと浮かんでいた。
そしていつの間にか寝てしまい――
気がつくと、大海原の真ん中にいた。
島は、もうどこにも見えない。
代わりに見えるのは、ボートを囲むように浮かぶ、無数の三角のヒレ。
「まさか…」
焦って態勢を崩した僕は、自らサメの群れに飛び込む形で海に放り出された。
*
目が覚めると、そこは病院だった。
「松井さん、気がついたんですね」
ナースが優しく声をかけてくる。
「あれ、僕は一体――」
「海で遭難状態だったところを、救助されたんですよ。怪我は大したことありませんが、念のためまだ安静にしてくださいね」
そう言われ、記憶をたどる。
サメの大群に襲われ、恐ろしいことになったはずなのだが――細かい部分が思い出せない。
覚えているのは、傷を負いながらも、必死にボートにしがみついていたことと、救助隊員の頼もしい姿くらいだ。
結局、病院は2日で退院となったのだが…変な気分だった。
どうせ死ぬのに、生き延びてしまった。
「死んでしまう」という恐怖を、これからも味わっていかなければいけない。
なんだかそれが、今もっとも嫌なことに思える。
…気がつくと、病院の屋上へと足を運んでいた。
不思議と迷いはなかった。
柵を越え、僕は恐怖のない世界へと一歩を踏み出した。
*
目が覚めると、そこは病院だった。
「松井さん、気がついたんですね」
ナースが優しく声をかけてくる。
「あれ、僕は一体――」
体は少し痛むものの、普通に動いた。
「…先生からあなたに、お話があるみたいです」
個室に通された僕を待っていたのは、1か月前に余命を宣告してきたあの医者だった。
「お久しぶりですね」
言葉は柔らかいが、あいかわらずの無表情っぷりだ。
「あなた、自分で飛び降りたでしょう」
「そうですけど」
僕は反抗期の子どものように、そっけなく返す。
「宣告の意味が通じていなかったようですね。あなたはあと10年生きるんですよ」
「…はい?」
医者が何を言おうとしているのか、まだよくわからない。
「細かく言えば、あと9年と11か月ですが」
無言で怪訝そうな表情をしていると、医者は続けた。
「あなたの病気は、『あと10年死ねない病』です」
*
『余命10年』は、10年は確実に生きられるという宣告だった。
少し事情が変わったが、10年で死ぬことに変わりはない。
でも――この余命、どう使おうか。この、10年は死ねない命を。
バカンス?…いや、そんなの虚しいだけだ。
ふと、海で助けてくれた救助隊の姿を思い出す。
命がけで、僕を助けてくれた彼らの雄姿。
薄暗かった世界に、淡い光が見えた気がした。