原案:ぱず 執筆:佐和島ゆら
「地球消滅の危機!」
そんなニュースのテロップを見たのは、数時間前だった。私はバイトでテレビのある食堂で働いていた。見るつもりはなかったけれど、働いていると自然にテレビの画面が目に入る。そこにはでかでかと「地球消滅の危機!」というテロップが走り、難しい顔をしたコメンテーターたちが話し合っていた。
「何だよ、このニュース! おい、番組変えろっ」
常連客がそう言い出したので、私はリモコンで番組を変えていく。しかしどの番組に変えても、全て「地球消滅の危機」というニュースばかりだった。さすがにそうなると食堂の客も、店の従業員も動きを止める。
どういうことだ……なんとも言えない緊張感が食堂内に満ちていく。そこで私は最初に見ていた番組に戻り、一体何が起きているのか、番組をそのまま流した。
すると緊迫感溢れる顔のアナウンサーが、原稿を手に叫ぶように伝え始める。
「さ、先ほど入ってきたニュースです。巨大な隕石が地球に向かっており、このままだと人類が消滅すると……」
ニュースによると、各国の天文台は地球到達まで一ヶ月と思われる距離に、巨大な隕石を発見。このままだと地球にぶつかり、人類が消えるという。
そしてこの隕石に対しては、対処できる術はなく、人類の消滅はほぼ確定しているとも告げた。アナウンサーは動揺している自分を押し隠すように、出来るだけ淡々と言う。
「皆さん、混乱する心は分かりますが、是非とも落ち着いて行動しましょう、繰り返しま……え」
アナウンサーは間の抜けた声を出す。私も唖然として、その現場を見た。
いきなりADらしき男がアナウンサーに飛びかかったのだ。その手には包丁が握られている。そして――。
「うぎゃああああああ」
アナウンサーが叫び声をあげているのにも関わらず、アナウンサーを何度も刺す。その言葉はろれつが回っていなかったが、恨みがたっぷりと見ている側に伝わってきた。私は思わず腰を抜かす。ドラマではあるまいし、まさかテレビを通じて、現実の殺人を見ることになるとは思わなかった。
私は「……順平」と恋人の名前を呟いた。世界が変わった瞬間、その後起きることを予感させる出来事に、私の心はブルブルと震えが止まらなかった。
「新聞が事件を追いきれなくなっている」
父親がめがねを外しながら大きくため息をついた。父親は元新聞記者だ、地球消滅のニュースが流れた後、元仕事仲間に連絡をし回ったそうだ。ソレによると報道機関の動きは、地球消滅という世界の混乱で、かなり鈍っている。パニックが起きた世界では客観的に取材するということが困難なのだろうと、父親は拳を握った。
私は会社には行けず、家に引きこもっている。母親も外の動きをかなり気にしていた。三人顔を見合わせても知恵が出ない。それもそうだろう。世界が滅びるという絶体絶命の時に動き出せるほど、私たちは強くなかった。
「地球消滅の危機!」ニュースが流れて三日経っている。状況は最悪としか言いようがなかった。テレビやラジオはかろうじて生き残っていて、流すニュースでは、世界各地が無法地帯になっていることを伝えていた。犯罪率が本来あり得ないレベルで上がっているらしい。確かに私の家の周りでも、普段は聞こえない怒声が響き渡っていた。それにしても事件のフルコースのようにテレビは犯罪情報を伝えてくる。殺人、強盗、強姦、放火……私は思わずテレビのスイッチを消した。
母親は困ったように言った。
「でも、どうしましょう。そろそろ、冷蔵庫のものが尽きそうなんだけど……」
「私が買いに行こうか?」
「女一人じゃ危ないだろう」
父親は厳しい顔で止めてきた。しかし私の家は、父親が足が悪く、母親も車の免許を持っていない。私ぐらいしか、車で移動が出来ないだろう。とてもこの状況で徒歩は怖すぎる……。私はそこで手を横に振りながら、不安を払拭するように言った。
「大丈夫、順平もいるし、順平の妹さんも来てくれるから」
順平は腕っ節はそれなりに自信があるらしいし。妹さんも足が速くてすぐに救援を呼んでくれるだろう。そう言い切ると、父親はしぶしぶと認めてくれた。食糧事情もあってのことだろうと思った。
母親はそれでも不安そうに、私のことを見ている。私は出来るだけ明るく笑った。私だって、出かけるのは正直不安だ。でも家族のためになるなら、動くことは出来る。
そうして出かける準備をしていると、家の外からバイクが止まる音がした。窓から覗き見ると、順平と順平の妹の柚香さんがいる。
私は車のキーをもって外に出る。順平は開口一番にこう言った。
「何も、なかったか? 美月」
「私は、特に……ただ仕事先が襲われちゃって、仕事先がなくなっちゃった」
「私もです。放火されて……とんでもないことに」
横から柚香が沈んだ声で言ってきた。柚香は確か最近仕事が決まったばかりだ。それなのにこんなことになるとは想像がつかなかったのだろう。いや私だって想像がついていない。いったいこの先どうなるのか、想像がつかなかった。私は柚香の肩を慰めように撫でた。いったい、どうしてこうなってしまったのだろう。途方に暮れそうな思いを抱えながら。
買い物は無事に終わった、日暮れ前には帰ろうとした所、悪路になった道路のせいで車がパンクした。お互いの家が近かったので、私は重い荷物を持って帰る。
急いで歩いているところ、ウチの前で人だかりが出来ていた。何だろうと思っていると、きな臭い臭いがする。私は人押しのけて、家の前に立った。そして絶句した。
家がなかった。買い物するまではちゃんと建っていた私の家がなかったのである。
「どうして……」
混乱して私は家へと駆け寄ろうとした、しかしそれを男の人に止められる。腕をわしづかみにされて、私は声を上げて叫んだ。
「なんで掴むんですか!」
「まだ、消火したばかりなんだ! 危ないぞ」
「でも、でも……!」
そこで私はハッとした。家が燃えているとしたら、さっき私を見送った両親は……私は腕を掴んだ人間を見た。消防の制服を着ている人だった。私は思わず詰め寄った。
「父や母はどうなったんです! どうして家が燃えてるんですかっ。私が家を出る前はそんなこと、なかったのに……!」
すると私の言葉に、消防の男性は重苦しい表情を顔に浮かべた。私の肩を軽く掴み、いたわるように声をかける。
「近所の住民によると、強盗がこの家に入って、家を放火したそうだ。焼け跡からも、二人のご遺体が見つかっている。折り重なって亡くなっていたそうだ」
「え……」
「司法解剖は遅れる見込みだ、このご時世だ、犯罪を把握するだけで我々も手一杯なんだ。ただ、そのご遺体は恐らく……」
消防の男性は深くかぶり、顔を見せないようにしてぼそりと呟いた。
「君のご両親だろう……」
私の聴覚は失われたのかと思った。消防の男性の言葉が上手く聞こえない。それどころか、他の音、住民の噂話も鳥の声も何もかもが聞こえない。嘘だと思った。世界が嘘をついていると思った。私の両親が死んだ? さっきまで私を心配して見送ってくれた家族が……嘘だ、嘘だよ。だがきな臭さが鼻をかすめた。
焼け跡の木材が音もなく崩れる……私は膝から力が抜け、その場に座り込んだ。
嘘、そう思いたいのに現実に見えているものが、私に事実を突きつける。
「いやぁああああああ!」
私は頭を抱えて、地にひれ伏すように叫んだ。見たくもない現実に感情が壊れそうだった。
私は順平の家に向かっていた。家が燃えて、なくなってしまった私には順平しか居場所がいなかった。順平とは何故か連絡がつかない。もはやそのことに何の感情を覚えられず、私はふらふらと歩く。やがて順平の前に着くと、順平が家の前にうずくまっていた。柚香の姿は見えなかった。
私はおぼつかない調子で声をかけた。
「じゅんぺい……」
順平はゆっくりとこちらを見た。
「美月……どうしてここに?」
私はすすで汚れた手を見せた。
「ウチが、強盗に襲われて、両親が亡くなったの……家も燃えて。私どうすればいいか分かんなくて……」
瞳が大きくなる順平の瞳。ぼそりと「お前もかよ」と呟いた。
私は言葉の意味が分からず、周囲を見渡す。柚香が姿を現さない。
「柚香ちゃんはどうしたの?」
びくりと震える順平の肩。それだけで何かあったことを悟る。私はどうして良いか分からず、小首を傾げることしか出来なかった。順平は震えるような声をどうにか整えようとしながら言った。
「いきなり……消えたんだ」
「え」
順平は頭をかぶり振って声を振り絞った。
「いきなり……消えて、捜しても見つからなくて……!」
順平は言葉を失ったように口をつぐみ、それから詳しく説明しだした。
柚香は順平と買い物後、家に向かっていた。しかし一瞬の隙をつかれたように、柚香の姿が見えなくなってしまった。警察に問い合わせしたところ、周辺の防犯カメラから、暴徒と化した男達に無理矢理連れて行かれる柚香の姿が見えたという。
拉致された可能性が高いのでは……ということだったが、今の警察ではこれ以上の捜査は正直難しいと言われてしまった……。
「でも、そんなこと、信じられないだろ……でも警察の人が言うんだ。この状況では、ほぼ、百パーセントと言っても良いくらい生きてはないだろうって……嘘だろと思って、捜したんだ。監視カメラで見た柚香がさらわれていった方向に」
だけどそこで見た現実は、あまりに過酷なものだった。
ソレは何だったのか、最初、順平は理解を拒否したそうだ。しかしソレは女性の死体のようだった。
顔がぐちゃぐちゃに潰され、誰なのかが分からなくなっている。一体どれだけ、顔を殴ったのだろうか。周囲には血が散っていった。しかしじわじわと迫り来るように順平は事実に気がついていった。
髪型も、体型も、着ていた服も、全て妹の柚香と一致していることに。とどめは手首につけられたミサンガだった。
柚香が子供の頃に作ったミサンガだ。両親の死後、二人で生きていくことになった時、兄と自分を守れるようにと柚香は一生懸命になって作った代物だった。これを持っている人間は自分と柚香しかいない。
それまで何とか押さえ込もうとした感情が爆発して、順平はその場で膝を突いて叫ぶことしか出来なかった。
私は順平を抱きしめる。寄る辺のない思いは、もはや誰かに抱きしめることでしかなだめられないような気がした。ただあまりにも現実がむごい。体を離せば、この現実をまた見なくてはいけないことになる。見たくない、見たくない、大事なものが平然と奪われていく世界なんて見たくない。私は抱きしめる腕に力を込めた。
ぽつりと言った。
「もう、やだよ……こんな世界」
「俺もだ……柚香は俺のたった一人の家族だったんだ。両親が死んで、あいつとたった二人で生きてきたんだ……」
「どうすればいいんだろう……」
「俺は疲れたよ……こんな世界、もう」
「……うん、もうバイバイしたい……」
私と順平の思いは一つになっていた。この世界から「さよなら」しよう。その思いに、お互い囚われた。私たちは顔を見合わせる、そして一つ、ゆっくりと頷いた。
順平の家にも車があったので、それに乗り、悪路を避けながら山里へと向かう。アウトドアが趣味だったという順平の家には十分すぎるほどの練炭や、七輪があった。それを積み込み、私たちは静かな場所を求めて、車を進めた。数時間は経過しただろうか。私たちは思うとおりの場所を見つけた……。
お互いに目で了承し合い、車を降りる。準備をするにも、一度車から降りなければいけなかった。時間が惜しいと言わんばかりに、練炭を七輪に入れていると。
ふと。
「ミャァア」とか細い鳴き声が聞こえた。
「何か、聞こえない?」
私が言うと、順平も頷いた。
「聞こえる、動物の鳴き声みたいだ」
声に誘われるかのように、私たちは周囲を見渡す。するとやや高い木の枝に黒い猫が座り込んでいた。姿はやや小さい。子猫と成猫の中間にくらいに見えた。
私は木の枝を見上げながら言った。
「なんで、あそこで止まっているんだろう。降りられないのかな」
「さあ、まだ大人じゃないみたいだし、その可能性もあるよな」
「かわいそうだよ、あそこでひとりぼっちだなんて、助けよう」
「それもそうだな」
順平は幹に足をかけ、器用に木に登る。そして黒猫をひょいと拾い上げて、木から下りた。猫はきょろきょろと順平と私の顔を見る。
「ニャアー」と一声鳴くと、すりぬけるように順平の腕から離れて、どこかへと足早に去って行った。
私たちはその背中を少し見て、また自殺の準備に取りかかった。もう、これで心に引っかけることはないだろうと。睡眠薬も用意し、火のついた練炭を車の中に入れ込む。二人で薬を片手に車に乗ろうとした時。
「おやめなさい」
後ろから声をかけられた。振り返ると顔立ちの整った、紳士と言った風貌の男性がいた。一目でその不思議さに気がつく。顔立ちを見ても、何歳なのか、まったく想像できないのだ。男性は淡々と言った。
「自殺するつもりなんでしょう」
私は頭をかぶり振って言った。
「いいんです、どうせ人類は滅亡するし、こんなめちゃくちゃな世の中で生きていたくない! 止めないでくださいっ」
男性は間髪入れずに私に言った。
「おやめなさい」
穏やかな、柔らかい声音だった。しかし私と順平はその言葉に言い返せない。圧というべき重みが、言葉に宿っていた。それを言い返すだけの言葉が、少なくとも私には見つけられなかった。たじろぐ私たちに男性は言った。
「生きる希望がないのですか? では、こうしましょう。私からあなたがたに生きる希望をプレゼントしましょう」
どういうことだと思った瞬間、意識がくらりと遠くなった。薬も飲んでいないのに不思議だった。私は声も出せず、そのまま気が遠くなった。
「え……」
私は真正面の景色に言葉を失った。今私は車に乗っていた。隣で順平が車を操作して動かしている。帰りの方向は自宅の方だった。
「あれ? 私、なんでここに」
「美月もか、俺も訳が分からないんだ。いつのまにか、車を運転してて……」
「どうして、こんなことに……」
私は最後に意識があったところを思いだした。確か、誰かと会っていた気がする。だけど、その姿が思い出せない……まるでその記憶だけもやがかかったみたいに、思い出せないのだ。順平も同じなのだろう。そのことに口を閉ざしていた。不可解なことに、うまい言葉が見つからないのだろう。
すっかり自殺する気は失せていた。順平は私を家に送ってくれるという……あの燃え尽きた家でどうすればいいのだろうと思った。
「あ、美月お帰りなさい!」
「こんな時に勝手に出歩くなんて、危ないじゃないか!」
「兄さん、美月さんといたんだね!」
家は何故か燃える前の状態であった。家の前では私の両親と柚香がいっしょになって、周りを見ていた。おかしい、二人は確かに死んでしまって、柚香も拉致されていたというのに。驚愕する私たちをよそに三人は心配げにこちらを見ていた。思わず母親の腕に触れると温かかった。生きている……私は強く実感した。まなじりから涙がぽろぽろとこぼれる。どうして両親が生きているのか、それは分からない。ただそれでも奇跡のような現実に、私は涙をこぼすしかなかった。柚香からもらったハンカチで目元を拭う。三人は先に食事を作っていたと言って、私たちを先導する。寄り添うように私の肩を抱く順平に私は震える声で言った。
「死ななくて良かったね」
「ああ、本当だ」
もう、とても死ぬ気にはなれなかった。家族がいる、恋人の妹もさらわれていない、その現実があまりにも心にきた。私たちはあと一ヶ月近くの命だとしても、皆で一緒に生きよう。そう思っていると、順平は意を決したように言った。
「美月、聞いてくれ」
私は首を傾げた。
「どうしたの?」
「ああ、俺たち、どうあがいてももう少しの命じゃないか」
「ええ、そうね」
「俺はこの短い時間を大事にしたい」
「うん……」
順平は肩を抱く手に力を込めた。
「結婚しよう」
「え」
「夫婦になって、一緒に過ごしたいんだ」
私のまなじりに驚きと歓喜の涙がこみ上げる。私もだ、この人と最後まで一緒に居たい。夫婦として家族として居たい。
私はあらん限りの感情を込めて大きく頷いた。
「うん、私も!」
そうして数日後、私たちは婚姻届を出した。健やかなるときも病めるときも、死ぬときも……一緒に居よう。
私は幸せだった、本当に幸せだったのだ。
けれども、人類滅亡の時間は訪れる。Xデー、その日が。
私たちは強く手を握り合った。
ところが……隕石は落ちなかった。
テレビもその瞬間を映そうとしていたが、何も起きない。私と夫が困惑したまま、顔を合わせていると、急に政府高官を名乗る人物が画面に登場した。そしてこんなことを言い出したのだ。
「人類は滅亡しません、今回の隕石に関するニュースは、全てデマです。各国政府が協力した、人口抑制計画の実施でした。今回、デマに踊らされ、犯罪を行ったものは、もれなく死刑になることが決まっています」
画面の向こうでは暴徒と化した人々が暴れている、それを軍服に身を包んだ兵士があっという間に鎮圧していく。
「う、うそ……」
「世界、終わらなかったな……」
「良かった、本当に良かった」
これで世界の治安は一気に回復していくだろう。犯罪を起こさなかった人だけが世界に残るとしたら、よりよい世界になるかもしれない。だけれどそれは隅に置いておいて、ただ今は、夫とこれから一緒に生きていけるのが嬉しい。私と夫は手を取り合った。
私たちはきっと、これからどんなことがあっても乗り越えられる。一度死んで生き返ったようなものなのだから。そして生きるチャンスをもらえたのだから。きっと、大丈夫だ。