むちゃぶり:ぱず 執筆:佐和島ゆら
柔らかな布団に顔を押しつけられる。そのシーンに出くわす度に、桑原里桜(りお)はため息をつきそうになった。まただ、またこの夢を見ている。
里桜のため息をつきたくなる思いをよそに、夢は進行していく。頭を強く掴まれ、布団に深く押しつけられる。息が出来ない。苦しさとパニックになる頭。目を開けられないほどの強さで、布団に頭を押しつけられる。閉じられた視界。白い閃光が暗闇に走っていくのが見えた。眼圧がかかると見える世界だ。どれだけ里桜を殺したいのか。
手足は拘束されている。コンクリの上に落とされた金魚は、喘ぎのたうち回るしかない。自分も今その状態だ。死ぬと分かっている結末に向かっている。でも自分は死ぬことに納得していない。
どうして自分は殺されようとしているのか。
里桜は昔から自分が殺される夢を見てきた。何度も何度も繰り返される夢。十七歳になってもこの夢は慣れきれない。殺されるというインパクトの大きさもあるのだろう。昔に比べて、夢のリアリティが増している。本当に死んだと思ってしまうくらいの殺意がこもっている。里桜の頭を布団に押しつける、この手は。
やめて。
その子だけは殺さないで。
意識が朦朧とする中で、二人の男の声が聞こえた。声質がよく似ている。救いを求めるように頭を動かし、視線だけを上向かせた。一瞬だけ暗闇しか見えなかった視界から解き放たれる。男がいた。やはり聞こえた声がしたとおり二人いる。顔立ちは一目見ただけで分かるぐらいそっくりだった。一卵性の双子なのだろうか。
二人は悲しそうに里桜を見ていた。
どうして? と里桜は思う。殺されそうになっている里桜を、そんなに痛切な顔で見るのだろう。里桜は双子らしき男の知り合いなんていない。でも双子は里桜をよく知っているような気がする。まるで雛鳥を包む母鳥のような優しさを、持っている気がする。
しかしそんなことを一瞬考えるだけで精一杯だった。里桜は再び布団に押しつけられる。もう逃がさない。逃がしはしない。そんな悪意を感じられる手は、今度こそといわんばりに力を込める。
「ん、んぐっ、んぅぅ……」
声にならない叫びだった。里桜は助けを呼んだつもりの言葉は、もはや言葉として意味をなさない。ただの、うめき声だ。
そうして里桜はまた、今日も殺されたのだ。
「里桜、今日は何時頃帰るの?」
母親の言葉に、朝食を食べていた里桜はゆっくりと頭を上げた。またこれである。うんざりしたように里桜は言った。
「別にいつ帰ってもいいでしょ。そんな遅くに帰るわけじゃないんだし」
すると母親は大げさと思ってしまうほどに大きなため息をついた。
「あなたのことが心配なのよ……スケジュールぐらい把握しないと」
「はいはい」
里桜は母親の言葉を流す。心配してると言われても里桜には疑問しか浮かばない。
今日は父親がいないから里桜に話しかけているのではないかと思ってしまう。
里桜の両親は非常に仲がいい。いつも二人で話したり出かけたりしている。小さい頃は危ないと考えたのか、里桜を連れて行くこともあった。しかしその時でも、話題を里桜と共有することなく、二人で楽しんでいた始末なのだ。
里桜の両親は特に定職らしい定職に就いているようには見えない。
父親は毎日のように出かけているが、働いているようには感じられなかった。しかし里桜はお金の面で困ったことがない。むしろ裕福に暮らせているような気がしていた。里桜が欲しいと思ったものは、親に言えば何でもないように買ってもらえたのだ。子供の頃たくさん好きなものを買ってもらった。親を困らせるほどにおねだりすれば、怒ってくれるのではないかと思った。怒ってくれたら嬉しかった。でも両親はそうすることもなく、それで満足すればいいんじゃないかという風に、里桜にものを買い与えた。里桜は段々、おねだりしなくなった。おねだりしても無意味な気がして、つまらなくなったのだ。
そんな両親だから、高校二年生にもなってから急に、普通の親のような振る舞いをし出しても説得力がないのだ。里桜は気持ちを押し隠すように、食パンを口へと押し込んだ。
それにしても首筋が重い。重石をのせられたかのような重さである。その上喉の息苦しさも消えない。きっとあのリアリティあふれる夢のせいだろう。里桜は表情を暗くする。 それにめざとく気がついたのか、母親が言った。
「里桜、どうしたの? 悩みごとでもあるの?」
母親というのはまるでマスコミのようだ。取材対象の細やかな動きにすぐ反応する。
そんな母親の強い勢いにいよいよ辟易して、里桜は白状した。
「殺される夢を見るの」
「殺される夢?」
里桜は頷いた。
「頭を布団か何かに押しつけられて……殺されるの」
里桜は投げやりになりながら言う。そしてふっと母親の雰囲気が変わってしまったように感じて、頭を上げた。ぎょっと目を見開いた。
母親が、里桜が驚くほどに無表情だったのだ。さっきまでの母親ぶっていたのと違って、表情が消えている。里桜は今まで見たことがない母親にどうすればいいのか分からなくなった。無言になる。そんな里桜を見ずに母親は言った。
「そんなのただの夢よ……ばからしい」
冷え切った言葉に里桜は背筋がすっと冷えるのを感じた。
里桜の家の最寄り駅から二十分。大学が三つある地域にあるカフェで、里桜はアイスティを飲んでいた。再開発が進んでいるこの地域。ひなびた町並みに、シンプルではあるが洒落たカフェは色々な意味で目立っていた。
カフェ内の端の席。深緑のソファに座っていると、おーいと声をかけられた。
「里桜、元気だったか」
つまらなそうな表情を浮かべていた里桜の顔が、ぱっと明るくなる。
「健にぃ!」
里桜のはとこの鍵野健三郎が、手を上げてにこにこと笑っていた。
「健にぃ。大学忙しくないの? 大丈夫?」
健三郎が席に着くなり、里桜は身を乗り出して聞いてきた。
健三郎は苦笑し、落ち着けと言った。その慣れた仕草に、里桜は逆に恥ずかしくなる。
「元気だよ、里桜も元気そうで良かったよ」
里桜は大きく頭を縦に振る。
「うん、元気だったよ。健にぃに会えると思ったら、もっと元気になった」
「そうか、それは良かったよ。おじさんとおばさんは相変わらずかい?」
「うん、相変わらずだよ。今日も買い物に行くって、二人で出かけちゃったし」
「……そうか、変わらないなぁ。おじさん達……」
表情に影を落としつつ、健三郎は店員に運ばれてきたブレンドコーヒーを飲んだ。
健三郎に里桜も強く同意し頷く。
「あの人達にとって、私なんてどうでもいいんだよ。まったく何で産んだのかと思っちゃう」
健三郎は里桜の激しい言葉をなだめる。
「そんなことないさ、二人にとって里桜は可愛い娘だよ」
「ホントかなぁ……」
里桜は頬を膨らまして、疑問を口にする。
「最近私のスケジューリングに口出してきてさ。今まで私がどうしたって気にしなかったのに、今更だなぁと思うんだよね。うっとうしいし」
「それこそ、親という自覚を持ったというか。何かに目覚めたかもしれないよ。里桜が成長して」
「今更おそーい」
里桜は唇を尖らせて健三郎の言葉に抗議した。
健三郎の言葉の意図も分かる、重々分かっているのだ。
里桜と両親の仲はけして良好とは言えない。その原因は両親にあるのだが、それでも健三郎は両親と里桜が仲良くなって欲しいと思っている。
健三郎は両親がいるにも関わらず、相手にされなかった里桜の面倒を見てきた。里桜は
健三郎を慕っている。はとこでありながら、一番の身内だと思う。
健三郎の家は一家で不動産会社を経営している。家族がとにかく結束しているのだ。お互いを助け合わないといけないと分かっている。相互扶助が当たり前の世界にいた健三郎にとって家族でありながら、感情の交流がないというのは良くないことなのだろう。
「っていうかさ、この間親に変な態度取られて.気分が悪いし」
「変な態度?」
里桜は思い出す。
母親の冷め切った態度。父親にも同じことを言ったら、疲れてるんだと一言で切り捨てられた。あそこまで里桜の言葉を端的に切り捨てられたことはない。わけが分からなかった。里桜は燻っていた憤りが噴き出すのが分かる。
里桜は健三郎が話を聞こうとする姿勢になった。里桜は吐き出すように話した。自分が殺される夢とそれに対する親の態度についてを。
話が終わると、健三郎は里桜をなだめることなく、難しい顔をした。
いつもと違う態度が気になり、里桜は頭を傾げて聞いた。
「どうしたの、健にぃ」
「ちょっとさ、気になってたことなんだけど……おじさんとおばさんって、何で生計を立ててるんだろう」
里桜はうーんと唸る。
「うーん、、分からない」
「だろう。俺も知らないんだ。里桜は知ってると思うけど、うちって、うちと血縁関係がある人の不動産も扱っているんだ。里桜の家のももちろん扱っている」
ただ……健三郎は言いづらそうに言葉を切った。
「収入に関して不明なんだよ、君の両親。里桜が生まれる前くらいから収入が良くなっていて、高額でも現金でものを買っているんだ。普通ローンを組みそうなものでも現金で買ったと親父が言ってた。土地も買う際は、親父の目の前で現金を出していたらしい」
里桜はその言葉に息を飲む。
「それ、本当?」
「ああ、どこからあんな金が出るのかと家族で話になったくらいだ」
「……不思議だね」
健三郎はこほんと咳払いした。
「俺はずっとおじさんとおばさんの収入が気になっていたんだよ」
「そうなの?」
「うん、おじさんとおばさんは何かがあやしい。里桜の夢に対する態度も気になるし……親子間で隠しごとがあるのは、よくないよ」
里桜は確かにと頷く。健三郎の言葉通りだ。
両親は里桜に対しての態度がおかしい。何かを隠しているのではないかと勘ぐってしまうばかりだ。でも娘にすら隠すようなことは何だろうかと思ってしまう。それはきっと重要なことだ。重要だからこそ隠してしまうんだ。里桜は健三郎をまっすぐに見た。
「私、お父さんとお母さんが何を隠しているのか知りたい」
「俺もだ、気になってしょうがない」
里桜と健三郎は視線を交わして頷きあう。しかしと里桜はすぐに困ってしまった。
「何から調べればいいのか……」
すると健三郎がスマホ画面に地図をひろげた。里桜は目を丸くする。
「これは?」
「里桜の両親が今の家に住む前に住んでいた家の地図と家の外面だ」
元は里桜の祖母が住んでいたのだが、両親が引き継いで暮らしていた。しかしその後急に出て行き、そのまま放置されているという。
「おじさんとおばさんの過去が眠っていると思うんだ。もしあの二人に何かあるとしたら、俺は過去だと思う。過去に何かがあって、収入が増えたんだ」
里桜は静かに息を飲む。
里桜は両親の昔のことを全然知らなかった。親は語ろうとしなかったし、里桜も聞くことを諦めてた。どうせ自分の言葉なんて届かないと思ったのだ。
もしかしたら里桜の夢も両親の過去に関わっているのかもしれない。
パンドラの箱に手をかけるような禁断を感じていた。これをしたらとんでもないことになりそうだ。でもいいんだと里桜は決意した。里桜ははっきりと口を開けた。
「健にぃ、協力してくれる? 私の両親のこと調べるの」
「そんなのお安いご用だよ」
力強い言葉に里桜の眼が輝いた。それから大きく笑う。
「うん、よろしくね。健にぃ」
そう言うと、里桜は資料をじっと見始めた。
里桜は肩を揺さぶられて目を覚ました。どうやら眠っていたらしい。長く電車に乗っていると、その乗り心地で意識が遠くなる。そうだ、自分は電車で二時間もかかる先に向かっている。
。
「里桜、起きろ。目的の場所だ」
まどろみから目を覚ますと、心配げに顔を覗き込む健三郎がいた。
「健にぃ。ここなの……」
里桜は電車の外に出ながらそう呟く。外の空気に触れると、その新鮮さに目を覚ました。里桜の住んでいる街は駅からほど近く、住宅街だ。建売住宅だらけで似たような建物が多く並んでいる。しかし目の前に見える光景はいつも住んでいる街と違い、建物の数が少ない。光景も閑散としていて、畑や雑木林も見えた。
「田舎だねぇ、ここ」
健三郎も同意するように頷く。
「ああ、だいぶな」
「そうだね」
里桜は呆然としたように頷く。
こんな場所に両親が住んでいたなんて、里桜は全く知らなかった。里桜に両親は何も教えてこなかった。自分たちのことは語ろうとしなかったのだ。ここに両親の過去が眠っているのかもしれない。そう思うと里桜は息を吐く。
緊張を覚えずにはいられなかった。里桜の強ばった視線、それに気付いたのか、健三郎は突然背中を優しく叩いた。
「ほら、ぼーっとすんなって」
「突然どうしたの、健にぃ」
「いや、里桜の背中は急に叩きたくなる」
「何それ、意地悪だなぁ」
里桜は憎まれ口を叩きながら、けして見守ることをやめない健三郎の優しさに感じ入っていた。ほっとする。健三郎は本当に自分を見離さないだろうと思う。里桜は感謝を覚えた。
里桜と健三郎が地図を片手に訪れた先は、平屋の民家だった、
人気のない家だが、中は危ないだろうと健三郎は注意した、
家の周りはずいぶん乱雑だ。荒縄でまとめられた建築材が家に立てかけられたり、放置されている。
「多分冬に家を守るための、建築材だったろうな」
健三郎はぼそりと呟く。その横で里桜はスマホを片手にため息をついていた。
「どうしたんだ?」
健三郎は里桜の様子を気にかけてきた。
「うん……お父さんがどこにいるんだって、メールしてきて」
「説明してこなかったのか?」
「うん、だって説明したらもっと追及されちゃうよ」
「それもそうだな……」
「一応、友達の家に行くってことにしたんだけどね」
しかも行くとした友達には事前に協力をとりつけていたというのに。
健三郎は疑問を浮かべた。
「むしろそこまでして、よくばれたというか」
「その子の家まで行ったみたいなの。怖くない?」
「確かに……」
さすがの健三郎も同意せざる得なかった。
里桜も両親がそこまですることに、不快の念が消えない。最近両親は確実におかしい。
困ったねと言い合いながら里桜と健三郎は家に入った。
さすがに放置されて長年が経つ建物だ。埃や蜘蛛の巣、室内の空気はとにかくよどんでいた。入った途端に埃を感じてくしゃみをした。
「だいぶ、やばいなぁ」
健三郎と里桜は慌ててマスクをつけた。
建物は何年も放置されていたが、二人が行動する分には問題はなかった。軋む音はするが、底が抜けるという不安定さは感じられない。それでも二人は慎重に歩みを進めた。
すると台所を通りかかっている途中で里桜は気がついた。テーブルの上に缶がある。
「これ……赤ん坊が飲むミルクだよね……」
「そうだな」
「なんでこんなものがあるんだろう……」
台所を捜索すると、虫が出てくる横で哺乳瓶を見つけた。
哺乳瓶の先には噛んだ後があり、使用されたと思われるものだった。
里桜はその事実にぞっとする。これはもしかしなくても……。
里桜は湧き上がりそうな感情をこらえつつ、口を開けた。
「ここには赤ん坊がいたのかな」
健三郎は口ごもる。
「俺は少なくとも、おじさんとおばあさんに、里桜以外の子がいるなんて聞いたことがない」
「ここに住んでいたのって、どれくらい前なの?」
「二十二年くらい前らしい」
「私はその頃はいないよね」
現在の年齢を考えると、五歳くらいの差が出てきてしまう、ならばここには里桜ではない赤ん坊がいたというのか。里桜は喉の奥からせりあがりそうな不安を抱えながら、捜索をはじめた。そして……見つけてしまった。母子手帳の存在を。
「桑原雫……桑原雪……」
母子手帳は二つあった。同じ誕生日に生まれている。一見しただけで双子だと分かった。
里桜は頭を横に振る。信じがたいものを見ていると思った。
「この子たち、私知らないの」
「ふたりの赤ちゃんを産んだのは里桜のお母さんみたいだな」
健三郎は淡々と言った。
生まれた期日は二十二年前だ。
両親は里桜以外の子供をつくり産んでいた。しかしその存在は、里桜や里桜よりも年上の健三郎ですら知らなかったのだ。
里桜は自分の指先が震えているのに気がついた。しびれのようなものも感じる。
「どうして……お父さんやお母さんは隠していたの、こんなこと」
双子の赤ん坊はどこに行ってしまったのだろう。里桜にはどうなっているのか想像が出来なかった。両親は何らかの理由で子供を手放したのだろうか……。
落ち着かない里桜の不安や疑問……。どうしたらいいのか分からなかった。
「里桜」
突然戸棚を捜索していた健三郎が声をかけた。
「どうしたの?」
集中しきれない里桜が、上の空で答える。すると健三郎はためらうように呼吸をして、それから意を決したように口を開けた。
「死んでいるよ、その双子」
最悪な言葉だった。目を見開き、里桜は健三郎を見る。
「え……?」
「ここに……保険金の支払いの通知書があるんだ。請求内容も書かれている」
里桜は顔を青くしながら健三郎に詰め寄った。
「な、なんて……」
「うつぶせ寝による事故死……双子はそれで死んでしまったらしい」
里桜の頭にがつんと頭をぶつけたような衝撃を覚える。事故死……保険金……自分の取り巻く環境の謎の一つが解けた気がした。
里桜は投げ捨てるように言葉を吐く。
「もしかしてさ……うちが生活できるのって」
「ああ……」
「その子達が死んだおかげなのかな、その保険金で暮らしていたのかな……」
「……詳細は不明だけど、あの暮らしぶりを維持できるとしたら、このお金を手にしているとしか思えないよ……すごい金額だ」
「そんな……」
里桜は脱力し、床に膝をついた。赤ん坊の死によって得たお金で自分は育ってきた。その子達が死んだおかげでわがままを言えた。なんてそれは……なんでそのことを……。
里桜は愕然として、古びた通知書を見ることしか出来なかった。
里桜があまりに茫然自失していることを見かねたのだろう。健三郎が肩を貸して、里桜を外に連れ出してくれた。外の澄み切った空気に触れると、里桜の気も多少はしっかりしてくる。里桜は力のない声で言った。
「ごめんね、健にぃ」
「俺は大丈夫だよ、それこそ、里桜は大丈夫か?」
里桜はぐっと息を飲む。
「分かんない……頭がぐちゃぐちゃになってるけど、でもうちは、人の死で得たお金で暮らしてたってだけはよく分かったよ」
「里桜……」
「何でそんなことしてるのかな、普通働くと思うんだけどなぁ」
やり場のない感情をごまかすように、投げやりに里桜は言った。
「あまり自棄になるな」
「自棄になってない!」
珍しく里桜は、健三郎に感情をぶつけた。別に自棄になってない。でも傍から見れば自棄になっているのだろう。いったいどうして、こんなことになったのか。赤ん坊の存在を隠すような真似をするのか。とにかくいろんな感情や思いが駆け巡って頭がおかしくなりそうなのだ。
その時だった。
突然健三郎が里桜を突き飛ばした。
「きゃっ」
里桜は尻餅をつき、強かに体を打つ。どうして急にと思った瞬間に、目の前に土埃が立った。里桜と健三郎のそばに置かれたていた建築材が音を立てて地面に落ちたのだ。
「どうして……」
里桜の声が震える。そこに健三郎が急いで駆けつけてきた。
「大丈夫か、里桜!」
「健にぃ!」
里桜は思わず健三郎に抱きつく。そんな里桜を受け止めながら健三郎は言った。
「建築材が落ちてくるのに気がついて、とっさに……」
「ありがとう、多分そうしてもらわなかったら大変だったよ」
里桜がさっきまでいた位置には重そうな建築材がいくつも転がっていた、まともにぶつかっていたら大変なことになっていただろう。
「急にどうして……」
里桜は呟き、建築材をまとめていた荒縄を見た。経年劣化でほころびたのかと思った。しかし……。
「切られた痕だ……」
健三郎は深刻そうに呟く。縄は鋭利なモノで切られて、建築材は崩れたのだ。
ふたりが話しているときに一体誰がそんなことをしたのか。里桜と健三郎はその薄ら寒い事実に動揺せざる得なかった。
また夢を見た。
殺される夢を見る場所。柔らかな布団が敷き詰められた場所。しかし今日の里桜は殺されなかった。座り込んだ里桜を伺うように二人の男が立っている。
「大丈夫かい?」
一人の男が聞いた。
隣のもう一人の男も。
「大丈夫かい?」と聞いた。
相手の顔を確認するためにゆっくりと里桜は顔を上げる。二人の男はそっくりだ。いつも一瞬だけ見える二人の顔。そして里桜と顔立ちが似ている。
それだけで何もかもが悟れたような気がした。
「あなたたちは誰なんですか」
二人は顔を見合わせ、少し笑いあった。
「僕は桑原雪」
「僕は桑原雫」
二人は自己紹介をした。成長した男の姿なのに、どこか幼さ、無垢さを感じさせる。何とも言えない不思議な感じがした。
雪が里桜の肩に手をそっと置いた。
「待っていたよ、君が僕たちを見つけてくれるまで」
雫は里桜の頭を撫でた。
「ずっと待ってたよ。君を」
里桜はその言葉になんて答えていいのかわからない。
自分はこの二人が亡くなってもらったお金で生きてきた。
事故死といえど二人だって、生きていたかったはずだ。それなのに、二人はそのことに恨み言一つ言わず、里桜に語りかけている。
「どうして、私を待っていたんですか?」
雪と名乗った男は言った。
「君に伝えたいことがあったからだ」
雫は頷き、真剣な眼差しを里桜に向ける。
「君に僕達の真相を伝えたい」
「真相?」
里桜はきょとんとして二人を見た。雪が言った。
「そうだよ、ねぇ里桜。君は二人同時に事故死するという状況をどう思う?」
「え……あまりに運が悪すぎると思いました」
「そうだね、あまりに運が悪すぎる。でもそれが人為的に起こされたものだとしたら、どうする?」
里桜は頬を引きつらせ、狼狽した。
「それって、殺人じゃないですか」
雪は小さく頷いた。
「そうだね……僕らはお父さんとお母さんに殺された」
雫も同意する。
「お金が足りなくて、僕らが生まれる前から、僕らを殺す計画が立てられていた」
「そして、それは成功してしまった」
里桜はその事実の重さに、体が震える。自分の両親が殺人者だなんて信じたくなかった。でもこの二人が、夢の存在ではなく、亡霊のような立ち位置のものであるのなら、信じてしまいそうになった。事実双子は事故死している。その死はあまりに不運な事故だった。そう里桜がひどすぎて本当なのかと思ってしまう事実だった。だから殺されたと聞いて、里桜はその可能性は十分あると思ってしまった。
雪は里桜の方に置いていた手に力を入れた。
「君に危険が迫っている」
「え……」
突然の言葉だった。その瞬間意識が急に遠くなる。
「どうか、君は助かって欲しい」
雫は祈るように呟いた。
「それが僕達の願いなんだよ、里桜……」
どういうことかと思った。双子の思いはどこまでも真摯に感じた。ならば自分はいったいどうなるのか。里桜はわからないまま、意識を失った。
苦しい、息が苦しい。体もしめつけられているようんな気がして、里桜は呻きながら目を開けた。そして現状に気が付き、ぎょっと身を縮める。
里桜の手足を拘束されており、ご丁寧に猿ぐつわまではめられている。自分の部屋で起きるとは想像が出来ないことだった。
声にならない声を出す。里桜は驚愕のあまり、手足をじたばた動かした。
その時だ。部屋の扉の隙間から、声が聞こえてきた。
母親の声だ。
「あなた、早くしないと。里桜が目を覚ましますよ」
「しかし、まだ夕方なんだ。拘束した里桜を持ち出すには危険すぎる。もっと人気のない時間にならないと」
「でもっ……」
「昨日の夕食に薬を混ぜたんだ。しばらくは起きないだろう……」
どういうことだ。里桜の夕食に薬を混ぜたとは。なんでそんなことをしているのか。そして拘束していることをふたりは了承している。
里桜は自分の両親のしていることに信じられない思いでいた。同時に里桜の心が揺らいでいた、これは……双子の殺人を確信させることだった。娘を拘束するなんて尋常じゃない。
「それより、お前……準備を整えているのか」
父親の言葉に母親は強く声を上げた。
「もちろんですよ。やってます。あの子のスケジューリングを出来るだけ把握して、いつでも行方不明になってもおかしくない風評を立ててます。時間はかかりますが、失踪して七年経てば死亡扱いになりますから……後はこの子を……」
父親は声をひそめた。
「どこに埋めるかは考えている。大丈夫だ、俺たちならやれる」
「そうね……里桜をよく育てたわ。良い金になればいいんだけど」「首を絞める紐も用意したな」
最終確認をする父親の言葉のよそに、里桜は嗚咽を漏らす。
自分は双子と同じように始末される運命だったのだ。保険金を両親が手にするために殺される……自分の両親はけして良い両親とは思っていなかったが、ここまで危ない奴だと思わなかった。里桜はろくに動けない手足をじたばたと動かした。死にたくなかった。ここでむざむざと死ぬわけにはいかなかった。
「んぅう、んんぅ」
里桜は勝手に出てくる涙を流しながら運命にあらがおうとする。しかし手足を動かせない里桜に抵抗する術はほとんどない。里桜は段々疲労感と絶望で身が染まっていくのを感じながら、くぐもった声を上げた。
嫌だ、死にたくない。殺されたくない……。
ふと気配を感じた。里桜が顔を上げたとき、双子の姿が見えた。陽炎のように儚い存在だった。双子は静かに語りかけるように言った。
「大丈夫だよ」
「里桜は大丈夫」
「君は自分を助けるすべは持っているんだ」
「だから落ち着いて」
でもと思う。こんな芋虫のように動けないのに、どうすればいいと言うのか。
双子は同時に言った。
「僕らが助けてあげるよ、里桜」
続けて囁く。
「君は生きて……」
里桜を縛っていた結束バンドがほつれるようにちぎれる。
里桜は目を見開く。
「あ……」
猿ぐつわを外して、里桜はスマホを探す。里桜は自分の交友関係やスケジューリングを出来るだけ把握したくなくて、親の分からない場所にスマホを隠していた。
引き出しにこっそり作っていた二重底、そこに隠していたスマホを取り出す。そしてボタンを数度押して緊急コールを鳴らした。声をろくに出すわけにいかない。
健三郎へと繋がるこのコールは、里桜の出来る最大限の救援だった。
「助けて……っ」
里桜は祈るようにか細く呟いた。
市街から離れた墓地。広がる芝生の中に桑原家の墓がある。
訪れるものがほとんどいなかった墓はひどく荒れていた。しかし最近そこに訪れる者がいて、綺麗にするようになった。墓には双子の赤ん坊が眠っている。事故死とされていたが、最近本当の死の原因が分かった双子だ。
ある晴れた日。黒いワンピースを着た少女と、黒シャツを着た青年が墓の前に立っていた。少女は墓に供えるための花束を持っている。里桜と健三郎のふたりだった。
両親に殺されそうに救援を呼んだ後、健三郎が応援を連れて家に駆け込んできた。里桜はいよいよと連れ出されそうになっていた。間一髪だった。里桜は心臓が止まるかと思うほどに心が怯えた。
今も夢で殺されそうになったことを思い出す。その度に体が震えてたまらない。今の里桜が生きていられるのは、健三郎と双子のおかげだった。
「また来ました。雪さん、雫さん」
里桜は丁寧に花を供えた。
「私、健にぃの家に引き取られたんで、ちゃんと生活できてますよ」
健三郎は里桜の両肩に手を置く。
「ちゃんとうちで守ってます。里桜は大事な家族なので」
その言葉に里桜はそっと微笑む。家族に殺されかけたが、自分には守ってくれる家族がいた。双子や、健三郎、そしてその家族。
里桜は心からあふれ出そうな感情をこめて、お祈りした。
「ありがとうございます」
里桜の感謝は一生途切れることはないだろう。本来ここにいるはずの双子の兄は、この世にいない。里桜も殺されかけた。何もなかったなんて言えない。でも里桜はここに生きている。それはとても、すごいことだろう。
里桜は口元を手で押さえる。泣きそうになった。でも泣くのをこらえた。今ここにふさわしいのは、きっと。
晴れた日差しにふさわしい、晴れやかな笑顔だろう。