作者:松元千春
「ママー!あの子に玩具とられたー!」
必死に訴える子どもの叫び声だった。はっと顔を上げると砂場で遊んでいるのは我が子一人。他の子は、ベンチに座る母親たちの前に集まるか、もしくは他の遊具に向けて走り出している。砂場に残された玩具はたくさんあり、どう考えてもすべてを欲しがり、みんなから取り上げたとは思えなかったが、リーダー格の子の動きにみんなも釣られたのだろう。
そして、それは大人も子どもも変わりがない。ベンチに座った大人達は、操り人形のように一人が向けた顔の位置に合わせるよう、みんなが順にこっちを向いた。そしてひそめ気合う、口ぐち。めんどうくさい。心の中でそう思いながらも、重い腰を上げた。これからこの地で生きて行かねばならない。心を許し合うほど仲良くなりたくはないが、仲間外れにされるのは避けるくらいに顔見知りなりたいのは事実だ。いいきっかけかもしれない。
「こんにちは。すみません、本当。うちの子が。本当最近いうことを聞かないバカ息子で」
息子がちらりと振り返る。その瞳は、失敗を悔やむようでもあり、母の言葉に腹を立てたようでもあった。息子よ、建前は必要なのだ。私の言葉に気を良くしたのか、リーダー格と思われる派手な女が笑った。高齢出産をした私よりも、ひと回りは若いと思われるような女だ。
「今、三歳?大丈夫だよ。少しすれば落ち着くよ」
「安井さんは小学生の子もいるから、色々詳しいよ」
隣から、別の女も声をかける。そいつの年齢は私と安井の間くらいか。こういう権力関係が面倒くさい。ただ、安井が、
「ちょっとあんたたちー!あの子も入れて遊んであげなさいー!」と叫んだのは予想外だった。意外といい奴だったのか。子ども達は口々に不満をもらしながらも砂場に戻ってきた。
「座りなよ。私達午後はここに集まることが多いの。越して来たの?」
今度は左から声がかかる。安井というリーダー格の他にいる4人が口々に名前をなのるが、覚えるつもりはない。
「そうなんです。旦那が転職して」
「うっわ、大変じゃん。もしかしてそこの団地?じゃマユママと一緒じゃない?」
余計なお世話だ。だが、マユママと呼ばれた端に座った女は、若くて小柄な可愛らしい女だった。少しはにかんだだけで、それ以上言葉を発しない。
「マユちゃんも少し前まで癇癪を起してたけど、最近いい子になったよね」「そうなんです。安井さんのアドバイス通り、悪いことをした時に押し入れにいれたんです。ちょっと可哀想だけど、棒で抑えて。何回か続けたら、急にいい子になって。でも……」
「そうでしょう?!あれ、すごい効果あるんだよ。うちの子なんて」
なんとなくベンチに座り、話は続いていく。子どもを見ても、うまく入れてもらえているようだ。結果的に、おっけーかもしれない。
ただ、ちらりと見たマユママの何か続けたそうな表情が気になった。それから、毎日公園に通うようになったのは自然のことなのかもしれない。不況のあおりを受けてリストラ、転職をした旦那は朝晩に少ししか家にいなく、子どもと二人では、小さな団地の部屋で息が詰まった。そうなると、反対に公園に行って友達と遊んでいる時はいい子に過ごしても、家で二人になると子どもは余計騒ぐようになった。
「こっちに来なさい!」
きっと息子にも良い薬だ。そう思った。服を引っ張って押し入れに押しこむ。
初めこそ奇声をあげてないた息子だったが、十分もしれば大人しくなった。三十分してそっと開けてみると、泣きつかれたのか眠っていた。少しだけ罪悪感が襲ったが、しばらく劇的に改善する息子の様子を見て、私は押入れに入れるのが癖になった。
「ねぇ、最近表情が良くなったんじゃない?初めて会った時は、疲れた感じがしてたけど」
安井がベンチの隣で話しかけてくる。子ども達は、今日はすべり台で遊んでいる。
「最近、あの子も押し入れにいれると良い子になるんですよ」
「え?」
安井が思ったよりも驚いた声を出す。そして、こわばった表情。なんだ。
「そういえば、マユママって最近来ないですね」
私がいった時だった。遠くから近づいてきたサイレンの音が、団地の前でとまる。勢いよく走りだした警官が、数分後に連れてきた姿に驚く。
「マユママ!!?」
私達の間に動揺が走る。マユママも、こちらに気づいたようだがすぐに目を伏せ、パトカーに乗せられていった。残ったのは、近所の人と思われる年配の女性の足元にからみつく女の子だった。様子を見て、マユだと分かる。だが、その顔を見て私は言う。
「ねぇ、安井さん。マユちゃんってあんな顔だったっけ?」
瞳が大きくて丸い頬、色白の肌が可愛かった幼子は、今や色黒で目も細い。
気のせいか。くすり、と安井が笑って言う。
「だから、あんまり押し入れに入れちゃダメって忠告したのに」
「え?」
「押し入れに入れ過ぎると、いらないと思って押し入れの魔物に子どもを取られちゃうのよ。変わりに魔物の子どもをくれて、大人しいけど、ある時ふと入れ替わりに気づくんだって。で、親は殺そうとするらしいわよ。さ!みんな帰るわよー!」
安井の言葉に鳥肌がたつ。滑り台から息子が走ってくる。私はあの子を、この震える両手で抱き締めることができるだろうか。
あの子は、まだ私の子ですか?