歌わないギター

↑「あとで」は、しおり代わりに使えるよ↑

作者:高山シオン

 


 

    1

 午後の講義が、いきなり休講になった。それで、よく暇つぶしに行ってるリサイクルショップに、ぷらぷらと行ってみた。そんなに大きな店構えではないけど、いろんなものが置いてあって面白いのだ。

 ヘッドホンからは、お気に入りのバンドのロックが流れている。ランキングなんかに、まず上ってくる可能性のないマイナーなバンドだけど、メロディや詩の雰囲気が好きで、よく聴いていた。

 このリサイクルショップには、わりと広めに楽器コーナーがあった。楽器といっても、ほとんどがギターだった。エレキとアコギが半々ぐらいだろうか。

 たぶんギターをできるようになったらモテると思った奴らが、早々に挫折して売りに来るんだろう。

 アルバムの中に1曲だけ、アコースティックギターで聴かせる曲が入っている。今ちょうど、その曲が流れてきたところだった。「Once again under the light」というタイトルで、少し寂しげではあったけど、希望のこもった詩が好きだった。

 ふいに1本のアコースティックギターが目に飛び込んできた。俺の好きなバンドのギタリストが持っているものに雰囲気が似ているような気がした。もちろん、プロが使うような楽器はもっとずっと高いに決まっているし、たとえ中古だとしても、こんなマイナーなリサイクルショップになんか並ぶわけがない。

 お気に入りの曲に背中を押されて、俺は楽器コーナーに初めて足を踏み入れた。目についた中古のギターは別にボロボロでもなんでもなかった。それに、買えない値段でもなかった。幸い、親からの仕送りが入ったばかりだった。

(やったら、案外できるんじゃね?)

 そう思ったら、急に楽しい気分になってきた。

(買っちゃう?買っちゃいますか?買っちゃえよ!後はどうにかなるだろ?)

 店の人に言って、展示されていたギターを取り外してもらった。

「弾いてみますか」

「いや、良いです」

 だって弾けないから。

 中古のギターを抱えて帰る道すがら、すれ違う奴らがみんな、俺のことを注目しているような気がして、くすぐったかった。
ただギターを持っているだけで、モテるような気がしてきた。人のことを笑えないと思って、少しおかしかった。

 帰ってすぐ、ネットで動画検索して弾いてみた。ひどい音がした。テレビとかで、カッコよく弾いているミュージシャンの音と全然ちがう。

(なんだこれ)
 あまりのひどさに、ギターを投げ出した。何がいけないのか、ちっとも分からない。

 想像では、すぐにジャランと良い音がして、ちょっと練習すれば簡単な曲なら弾けるようになるはずだったのに。

 街を歩けば「ギター教室」の看板が目に付いた。「初心者OK」。なんとなく、その文字が気に食わなくて素通りした。初心者でも来て良いんだよ?的な上から目線を感じてしまった。
ギターは弾かれないまま、時間だけが流れて行った。

 眠たい午前の講義が終わって、学食にはいつものサークル仲間が集まってきた。「オールラウンド」という都合のよい言葉を冠したサークルで、気が向いた時にだけ、なんとなく活動していた。
 サークルの支部長に、ひょろい桑田くんに、メガネで大人しい性格のタケユキ、男のくせに真弓ってやつ。真弓なんていう女の子みたいな名前の割に、背が高くてガタイが良くて声が低い。それから根本という地味な男。桑田くんと根本が、だいたい、いつもワンセットで行動している。そんな、かわりばえのしないメンバーが、今日も集まっていた。

「おい、喜べよ!」

 と、いきなり真弓に言われた。

「は?急にそんなこと言われて喜べるやつがいるかよ」

「まぁまぁ」

 真弓がニヤニヤしている。真弓だけではない。支部長も、桑田くんも、根本も、タケユキもみんなでニヤニヤしている。ニヤニヤの大合唱かよ。そんなに良いことがあったのか?と疑いつつ、気になってくる。

「お前、びっくりするぞ!」

 支部長がもったいぶる。小柄で、ヘルメットみたいな変な髪型で、いじられ役の支部長が。モテない村出身の支部長が。

「なんだよ。早く言えよ」

 ふいに漂ってくるカレーの匂いにソワソワしながら急かすと、支部長はパッと明るい笑顔になって、こう言った。

「俺らのサークルに、とうとう、女の子が入ることが決まりましたっ!」

「え!?マジで?」

「マジ、マジ。しかも3人も!ま、なんて言うか俺の人徳……」

「いつ!?いつから来んだよ!どんな子?可愛いのか?」

「落ち着けよ。まずはカレーでも食おうぜ」

 ちなみに、この学食でカレーが一番安いメニューだった。支部長がとっとと食券を買いに行ってしまうので、仕方なく後に続く。

 それぞれに食べたいものを買ってテーブルに戻る。みんな、それほど裕福な暮らしをしている訳ではなかったから、カレーを注文する割合が多かった。

「いつも思うんだけどさ、カレーに味噌汁っておかしくねぇ?」

 支部長が呑気なトーンで言う。このタイミングで言うことかよ、と思う。

 そもそも、ここの学食には、基本、何にだって味噌汁が付いてくるのだ。たとえスパゲティ・ナポリタンであっても、そのトレイには当たり前の顔をして味噌汁のお椀が乗っかってくる。

 そんなことは、ここにいる全員が知っている。今さら話題にする必要もない!

 俺が不機嫌な表情をしたせいか、支部長は中途半端な笑顔のままカレーを食べ始めた。俺も、腹が減っていたから、とりあえずカレーを食べ始める。

 いつもながら、パンチのないカレーだった。でも、何故か知らないけど食べ飽きない。おふくろの味的な感覚なのかもしれない。

 カレーを食べて、少しお腹が落ち着いたところで、すぐに気になっていた話題に戻った。

「で、どんな子なんだよ!」

「可愛いよ。な、真弓?」

 そう言いながらも、支部長の目が泳いでいる。分かりやすいリアクション。100%嘘だ。

「あー、うん。可愛い可愛い」

 真弓が頷く。分かりやすい「適当な相づち」だ。

「嘘つくなよ、お前ら!教えろよ、マジで」

「がっつくなよ。北川くん。飢えてんのは分かるけどさ」

 桑田くんがラーメンをすすりながらニヤつく。

「うるせぇな。人のこと言えんのかよ」

「俺はいいんだよ。根本っちがいるから。ね」

 そう言われた根本は、ただ静かに笑っている。まるで長年つれそった奥さんのような佇まい。

 こいつら、付き合ってんのか?と思うことが度々ある。

 ちなみに、今ここにいるメンバーは、のきなみ彼女がいない。モテない村の住人は、支部長だけではなかったのだ。
俺も例外になくフリーの状態だ。ただ、ここにいる連中と違うのは、大学に入ってから「彼女がいた時期があった」ということだった。

   3

 忘れもしない、ある秋の日だった。俺は急に呼び出されて、いつも通りの顔で会いに行った。

 いや、どっちかと言うと、

(急に会いたいなんて、しょうがねぇ奴だな……)

 なんてことを思いながらヘラヘラしていた。

 待ち合わせの場所は、駅からちょっと歩いた場所にある、閑散とした公園だった。恋人とイチャイチャするにはジャマも入りにくい場所だった。

 そんな場所で、彼女は言った。

「ごめんね。あたし、もう別れたい」

 俺はポカンとなった。

「は?」

 俺が聞き返すと、彼女の表情が険しくなった。

「お前、なに言って……」

「もう別れたいの」

 俺の言葉を途中で遮って彼女が言った。言葉のビンタみたいな感じだった。それぐらいショックだった。

 彼女の目に涙が浮かんでいた。なんで泣いているのだ。泣いて良いのはこっちだろ?何の前触れもなく、急に別れたいなんて言われた俺のほうだろ?

「て言うか、なんで?」

 口の中がカラカラに乾いて声がかすれた。

「言ってもムダだと思う」

 彼女の言葉が冷たく突き刺さってくる。

「なんだよそれ、そんなんで納得できるわけないだろ?」

 彼女は険しい顔で俺を睨んだ。しかし、いくら睨まれたところで、分からないものは分からない。

「おい……」

 彼女の肩をつかもうとしたら、素早く避けられた。触れられるのもイヤということなのか。俺はまたショックを受けた。

「じゃあ、言うけど」

 彼女の声のトーンが変わった。感情を抑えているらしく声が震えている。そんな彼女の口から出てくる、俺と別れたい理由の数々。

 それは、俺がいかに無神経で、気が利かなくて、自分本位だったか、ということの証明みたいだった。

「どうして、その時に言ってくれなかったんだよ!」

 俺は思わず声を荒げてしまった。悲しみと怒りが入り混じって、感情がセーブできなかったのだ。

「は!?」

 彼女が鋭く睨み返してくる。その非難がましい視線に、俺も感情を逆なでされた。

「あの時がああだったとか、こうだったとかさ、なんで今になって言うんだよ!マジで意味分かんねぇ!そん時に言えよ!」

「どうして言わなくちゃ分からないの!?」

「はぁ!?」

 俺はどうしようもなく腹が立った。

「お前、何言ってんの?お前が何を考えてるかなんて、俺に分かる訳ねぇだろ?じゃ聞くけどさ、俺が何を考えてたか、お前は分かってたのか!?」

「どうして、あたしが悪いみたいな言い方されなきゃいけないの?そんな言い方しないでよ!」

 彼女は両手で顔を覆い、本格的に泣き出してしまった。公園の入り口でカップルのひそひそ声がし、すぐに遠ざかって行った。さすがに、この状況のそばでイチャイチャする気にはならなかったらしい。

「おい……」

 俺が声をかけると、彼女は体の向きを変えて、俺に背中を向けた。完全に拒否。そういう態度だった。俺は小さく舌打ちをした。やっていられない。スマホを見たら、待ち合わせの時間からすでに30分ほど経っていた。

 しばらくすると、彼女は泣きやんだ。ハンカチで顔を拭き、振り返った。真っ赤な目で俺のことを睨みつける。

「北川君てこういう人だったんだね」

「は?何がだよ」

「もう良い」

 彼女は大きく深呼吸をして、俺に言った。

「さよなら、北川くん。もう二度と会わないから」

 彼女の顔は、何故か怒っていなかった……。

 そういう訳で、俺は一方的に「振られた」のだった。

 それから、早いもので、もう半年ほどが経つ。彼女のことは、たまに構内で見かけることもあるし、同じ講義を受けていることもあった。偶然、目が合ったりしたら挨拶ぐらいしても良いだろうと思ったこともあったが、目が合うことがなかったし、言葉を交わすような距離にもならなかった。

 ダサいかもしれないけど、俺のスマホには、消しそびれた彼女の連絡先が入ったままになっていた。

 正直に言うと、

(もしかしたら、向こうから連絡があるかもしれない)

なんてことを思っている。彼女のほうから「ごめん」って言ってくるんじゃないだろうか、みたいな淡い期待だった。

 大学に入って、わりとすぐに付き合い始めた子だったから、半年ぐらいは付き合ったはずだ。そこそこスタイルもよくて、可愛い子だった。

 付き合って2か月もしないうちに、彼女が、俺の部屋に泊まりに来た。実家から通ってきている子だったから、親には嘘をついて俺のところに来たのだった。そんな彼女のことが愛おしかった。彼女も、俺のことを好きなんだなと感じていた。

 それなのに振られた。

 だいたい、付き合おうと言ってきたのは彼女だった。それなのに、振られた。

 振られたとき、正直に言って傷ついたし、かなり落ち込んだ。泣きたかった。もとい、ちょっと泣いた。とりあえず野郎どもを誘って飲んだくれた。カラオケでシャウトした。ただ空しかった。いったん知ってしまった温もりを失うって、こんなにデカいことなのかと思い知らされた。

 俺の心はひねくれた。

(女って意味分かんねぇ)

 もう当分、彼女とかいいや。そう思っていた。それなのに、「モテたい」と思っている自分もいる。自分のことが、よく分からない。

   4

 支部長のスマホが振動する。すぐにスプーンを置いて、スマホを見る支部長。支部長とはこういう男だ。例えばLINEひとつをとっても、すぐに既読がつくし返信が来る。このマメさは、俺にはまねできない。

「すっげぇ!」

 支部長がひとりで興奮している。

「何がすげぇんだよ」

「ヤバいよ。俺が誘った子が、別の友達も連れてくるって。3人」

「え?いつ」

「今」

「は?マジで?」

 急に緊張が走る。野郎どもが色めき立つ。どこから来るんだ?どんな子が来る?気になって、いてもたってもいられなくなった。

「あ!来た来た!おーい、こっちこっち!」

 支部長が立ち上がって、大きく手を振った。それを合図に、居合わせた野郎どもが一斉に振り返る。これがもし漫画だったら、「ガバッ」という特大サイズの効果音が入っていたはずだ。

 学食の外の、人ごみを抜けるようにして、見知った顔の女の子がニコニコと笑顔で手を振りながら近づいてきた。

「なんだ優子かよ」

 同じ学部の、それこそ入学当時から知っている女の子だった。たいして可愛くもないのにぶりっ子してて、リアクションとか面倒くさくて、俺の好みではない。だから、ちょっとガッカリした。

 その優子が、くるりとうしろを振り返った。その瞬間、キラキラキラキラ……と世界が輝いて見えた。

 まず言っておくが、優子は俺の視界からはすでに消えた。優子の後から姿を見せた2人の女の子も、すぐにフェードアウトした。俺の目を惹いたのは、その後からやって来た、ほんの少しだけ背の高い女の子だった。短めの黒い髪、顔が小さく肌が白くて、自然とこぼれてくるらしい屈託のない笑顔に射抜かれてしまった。

 歩いてくる彼女が、映画のワンシーンみたいに、スローモーションで見えた。ざわめきが遠のいたように感じた。

 こんなことって、今までに無かったと思う。

 女の子たちは、支部長の元に集まり、ニコニコと挨拶なんかを始めた。

 小柄で人懐こい支部長の特技といえば、「初対面の相手に警戒心を与えないこと」だろう。サークルのメンバーの中で、これができるのは奴しかいない。だから、こいつが支部長なのだ。

 こちら側では、桑田くんや、根本や、真弓がニヤニヤとしながら女の子たちを観察している。

 ぽっちゃりした、よく喋りそうな元気な女の子。

 おしとやかそうで、痩せた印象の子。

 そして、俺の目を惹いた子。こうして近くで見ると、驚くほどにスタイルが良かった。

「すげぇな」

 桑田くんと根本がヒソヒソと言い合っている。何がスゴイのかは、あえて聞く必要もなかった。俺でもスゴイと思った。いや、ここにいる連中はみんなスゴイと思っているに違いなかった。

 そのぐらいグラマーなスタイルだった。

「他のふたりは?」

 支部長の問いに、

「なんかぁ、そのうち気が向いたら来るって」

と、優子が嘘くさい笑顔で答えていた。

「あ、そうなんだ……」

 支部長が仕方なしに笑った。たぶん、「そのうち」は永久に来ないのだろう。

 学食の、いつもと変わらない光景。

 男ばかりのむさ苦しかったサークルに、とうとう女の子が来た。ただそれだけで、世界が明るくなったように感じた。

 俺たちのすぐ横に、彼女たちも席をとった。ふんわりと、とてもいい匂いがした。

 支部長が仕切り、互いに自己紹介をした。ぽっちゃりした子はカオル、華奢な印象の子はアサミ、そして俺の目を惹いた彼女はヒカルと言った。

 俺たちはいつになくはしゃぎ、しょうもないことを言っては笑いあった。

 たまに、ヒカルと目が合った。他の子と目が合っても何とも思わないのに、彼女と目が合うと俺は恥ずかしくなり目をそらしてしまった。素っ気ない態度に感じさせてしまったかもしれない。

「歓迎会やんなくちゃいけないだろう。な、支部長」

 真弓がテーブルに身を乗り出して言った。

「え?急だな!」

 支部長がカレースプーンを持ったまま顔を上げた。口の中のカレーを水で飲み下すと、

「ま、まぁ……せっかく来てくれたんだから、そうだな……今度の金曜日あたりにするか。都合の悪いやつ、いる?」

 モテない村の俺たちに、これといった週末の予定があるはずもなかった。問題は女の子たちのスケジュールだ。

「女の子たちは、どう?」

 支部長が人懐こい笑顔で聞くと、彼女たちは顔を見合わせ、お互いに確認し合ってから、

「大丈夫!」

と、答えた。

「よし!じゃ、決まりだな!支部長、予約よろしく!」

 真弓が支部長の背中を叩く。支部長は軽くむせながら答えた。

「任せとけ。とっておきの場所をおさえるから!」

「え?ほんとう?すごーい!」

 優子が声を上げた。他の女の子たちも楽しそうに、どんな場所かな?なに飲む?などと話し合っている。

 俺たちは心の中で思っている。

(ハードルを上げて大丈夫か?どうせ、いつもの居酒屋なのだろう)

 ただ、週末に女の子をまじえての飲み会が決まったことで、俺たちは掛け値なしにテンションが上がった。

 ただ、気を付けなければいけないのは、支部長の酒癖の悪さだった。いつも飲みすぎて意識を飛ばす。たまに暴れる。吐く。そんなことになって、サークルに加わったばかりの女の子たちをドン引きさせる訳にはいかなかった。

 

    5

 この日が来るのを、そわそわと待っていた。でも、あんまり早く到着しすぎるのもダサいと思ったから、ギリギリまで公園で時間をつぶしていた。

 俺が待ち合わせ場所に着いたときには、他のメンバーはみんな集まっていた。支部長が笑顔で手を振る。俺もちょっとだけ片手を上げて応えた。女の子たちが振り返って笑顔を見せる。俺はやっぱり照れくさくてそっぽを向いてしまった。

 乾杯をするまでは、お互いに緊張があって、会話もなかなか弾まなかった。でも、少しずつアルコールが入るにつれて、空気が和らぎ、なんとなく打ち解けて、楽しい雰囲気になってきた。

「こう見えても、根本っちはピアノが弾けるんだよ」

 桑田くんが言った。出た。いつものパターンだ。ピアノが弾けるとか言っておけば、女の子が食いついてくると思ってるんだ。単純だ。

「すごーい!」

「えー、意外ー!」

 女の子たちが食いついてくる。案の定、といった感じのリアクションだった。

「桑田くん、その話はやめろよー」

 根本がニヤニヤと笑いながら、頭をかいている。言葉とは裏腹に、ちっともイヤそうではない。

「や、だって本当のことだろ?」

 桑田くんが根本の肩に腕を回す。だから、こいつら付き合ってんのか?

「えー?どんなの弾くの?」

 女の子たちが興味津々。きらっきらと目を輝かせている。楽器ができるって、そんなにスゴイことなのだろうか。頭の中に、置きっぱなしのギターが浮かぶ。

「えー?まー……ショパンとか?」

「すごーい!カッコいい!」

「いや、そんな難しい曲じゃないし。ていうか、もうこの話はいいよー」

 根本がニヤニヤしている。ほんとうに嬉しそうだ。モテない村の住人は、こういうことの積み重ねに賭けるしかないのだ。俺も人の事を言えた立場ではないけど。

「でもさ、北川くんもギター持ってんだよ」

 急に、桑田くんが言った。このタイミングで、その話題は最悪だ。普通に考えたら「ギター持ってる=ギター弾ける」って思うだろう?分かれよ。黙れよ。

 俺は黙って、泡のなくなったビールを飲んだ。

「え!?」

 女の子たちが一斉に振り向いた。その目が輝いている。やっぱりギターを弾けるってのはカッコいいことなのだ。それが事実だったとしても、俺は該当しない。だって、持ってるだけで弾いてないから。

 女の子に注目されるのは悪い気はしないけど、変な緊張が走る。

「止めろよ、その話は」

 恥ずかしいから止めろよ的な雰囲気で、普通に話を終わらせる方向に持って行ったつもりだった。それなのに、

「どんな?どんな曲をやるの?」

と、ヒカリが食いついてきた。シンプルなTシャツを着ているけど、胸の大きさがハッキリと分かった。

 ヒカリとばっちりと目が合った。思わず、ドキッとした。

 嘘みたいなキレイな目をしている。色が白いから頬の赤みが目立つ。正直に言って、可愛いと思った。

「え……と」

 情けなく、言いよどむ。桑田くんと根本がニヤニヤしながら見ている。お前ら。あとで覚えとけよ。

「いや、そんな有名な曲じゃないから……言っても知らないと思う」

 有名とか無名とか、そういうレベルじゃない。でも、素直に弾けないとか言えなかった。「……いや、こんな話してもおもしろくねぇって!」

 この場の雰囲気を変えようとして、わざと明るく言ってみた。それなのに……、

「え?もしかして……洋楽とか?」

 ヒカリが食いついてきた。

違う、そうじゃないんだ。洋楽も邦楽もない。そもそも俺はギターなんか弾いたことがない。今うちにあるギターは、ただのインテリア状態だ。おちゃらけて言ってしまえば済むのかもしれない。それができたら苦労しない。

「洋楽じゃ、分かんないや……」

 ヒカリが素直に言い、俺はホッと一安心。いろいろと誤解は生じたものの、とりあえずギターの話題はこれで終わりそうな雰囲気になった。

 と思ったら、横から根本が割り込んで来て言った。

「って言うか、ヒカリちゃんギターなんか興味あんの?」

 黙れ根本。その話題はもう良い。

 しかし、どんなに俺が睨みをきかしたところで、根本は完全に無視してきた。とりあえずヒカリと話がしたいらしかった。女の子と話をするチャンスを逃すまいと必死なのだ。

「ギターって言うか……」

「あーヒカリはホテイ好きだもんね」

 小柄ぽっちゃりのカオルが口を挟んだ。髪にくるくるとパーマをかけ、ひらひらしたスカートをはいている。

 歓迎会の開始直後の、まだ打ち解けていない状況にも関わらず、彼女は馴れ馴れしく回りに話しかけては、大笑いしていた。フレンドリーな性格なのだろうけど、ちょっと異性視しにくいタイプだ。

「そうそう。カラオケで歌ってたね」

 アサミが横から口を挟む。今日は、花柄のブラウスにジーンズというシンプルなスタイルだった。

「ホテイ好きなんだ!」

 横から食いついてきたのは支部長だった。女の子たちをドン引きさせないため、真弓が横について飲みすぎないように監視していた。にも拘わらず、すでに目がすわっている。

「ホテイいいよねー……。ホテイに乾杯っ!ねえねえ、ホテイのさ、どの曲が好きなの?俺ね、俺はね……」

 人に質問しておいて、答えも聞かずに話し出す支部長。酔っ払いだ。そんな面倒な男を目の前にして、ヒカリはイヤな顔ひとつしない。きちんと話を聞いている。しかも、とても楽しそうだ。そんな彼女がとても魅力的に見えた。

「何こいつ。ただの酔っ払いじゃん」

 カオルが支部長をからかった。支部長がすぐに言い返す。

「飲んだから酔っ払ったんだよ!何が悪い!」

「はぁ!?」

 カオルが呆れている。その横で、ヒカリは大笑いしていた。俺も思わず頬がほころんでしまった。ふとヒカリと目が合ったけど、今度はうまく笑顔になれた気がした。

「ヒカリちゃんてさ、ス……スタイル良いよね!」

 支部長が酔っ払った勢いで言った。それはセクハラだろう。

「ヒカリは巨乳だから」

 カオルが横から口を出す。言われなくても分かる。言われたヒカリは黙って肩をすくめている。

 ビールを飲みながら、俺はチラチラとヒカリのことを見ていた。ヒカリは、すっかり酔っ払った支部長の、取り留めのない話を、ずいぶんと楽しそうに聞いている。支部長なんか、目がとろんとして、今にも寝落ちしそうな顔をしている。でも、あんなふうに彼女と気兼ねなく話せるのが、正直、羨ましかった。

 俺は、喋るのが得意じゃない。こんなつまらない男じゃ、ヒカリみたいな子が好きになるわけがないんだ。そう思っていた矢先のことだった。

 ふいに、ヒカリと目が合った。ヒカリは支部長のことを横目でチラッと見る仕草をしてから、肩をすくめて俺に微笑んだ。見ると、支部長は完全に目を閉じてしまっていた。後は横になるだけ、みたいな状態だった。

 俺もちょっとだけ笑ってみせた。さっきの笑顔より、さらに自然に、うまく笑えたような気がした。
ヒカリともっと話がしたいと思った。うまく話せる自信なんかないけど、彼女なら聞いてくれる、そんな気がした。

    6

 飲み会が解散になると、タケユキがうちに泊まりに来た。彼は実家から片道2時間かけて通学しているので、飲み会のあとは俺のアパートに泊まりに来るのがお決まりだった。

 ちなみに、タケユキはシャイな男なので、飲み会でも基本的に大人しくしている。こっちが話題を振ったり、いじったりしてやるとリアクションを起こしてくるタイプだった。良いヤツなんだけど、やっぱりモテるタイプじゃない。

 そして今日に限っては桑田くんと根本までもがついて来た。

「うち狭いんだから来るなよ」

と言ったけど、

「気にするなよ」

と意味の分からないことを言ってついて来た。

 近所のコンビニで適当に買い出しをして、ワンルームの小さなアパートに戻ってきた。モノが少ないせいで、1人暮らしの割にはそれほど散らかっていない。ただ、小さなテーブルの上には吸い殻がつもった灰皿が乗っていた。彼女に振られたあたりから吸い始めた煙草だった。そして、部屋の片隅に、弾くあてのないギターが立てかけてあった。

 テーブルの上にスナック菓子を広げ、飲み物はペットボトルから直に飲む。

「これかぁ」

 根本がすぐに俺のギターに手を伸ばした。

「何お前、ギターできんの?」

 俺が驚いて聞くと、根本にしては珍しいドヤ顔をして言った。

「ピアノ弾けるやつって、だいたい他の楽器もできるんだぜ?」

「マジかよ」

 俺は生まれて初めて、根本のことを尊敬した。

 ガキのころ、ピアノを習っている男子が回りにいたけど、俺はそいつらのことを、女みたいなやつだってバカにしていた。そんな幼少期の俺を叱ってやりたい気持ちにすらなった。

 根本は胡坐をかき、ギターを膝の上に乗せて鳴らした。やはりひどい音だった。すると、根本は黙ってギターを鳴らしながら、音程の調整を始めた。俺はただ見惚れるしかなかった。やがて、ひとつ頷いた根本が、ジャランとギターを鳴らすと、それはそれはキレイな音が出た。

「北川くん。チューニングメーター持ったほうが良いぜ。スマホのアプリとかあるはずだから。そしたら自分でちゃんとやれるようになるし」

 根本の言葉に、俺は素直に頷いていた。

「それから、これだけは言っとくぞ。ギターができるようになったところで、モテないやつはモテないから」

 俺は何も言えなくなった。

 しばらく根本はひとりでギターを弾いていた。でも、静かになったと思って振り返ったら、ギターを放り出して寝落ちしていた。その顔を見て、桑田くんも眠くなったのか、ごろりと横になると、すぐに寝息を立て始めた。

 タケユキだけは起きていた。俺はなんとなく煙草を吸いたくなってライターを持った。そのタイミングで、タケユキが小さな声で言った。

「北川くんはさ……、今日、集まった子たちの中で誰が一番いいと思った?」

 俺は一瞬、自分の気持ちをタケユキに気づかれてしまったのかと焦った。

「は?なんだよ急に」

 なんとか平静を保ちながら灰皿の上に、灰を落とす。すると、タケユキは恥ずかしそうに黙ってしまった。それどころか、モジモジとペットボトルのラベルをいじっている。顔が赤くなっているのは、アルコールのせいではないらしかった。

 マジか。好きな女ができたか。それは、いったい誰なんだ。タケユキの片思いの相手のことが、すごく気になってきた。

「て言うか、お前は?」

 煙草を口にくわえながら、タケユキに聞き返した。

「え?」 タケユキが顔を上げる。「なにが?」

「なにがじゃねえよ。お前は誰が良いと思ったんだよ」

「俺のことは良いよ……」

「良くねぇよ」

 タケユキがペットボトルのキャップをひねって開けた。かと思ったら飲まずに閉めている。すっかりテンパっている。こういうところが、この男の憎めないところなのだ。

「言えよ!」

「言わないよ!」

「良いから言えって!ホラ!」

 ドン!と壁が叩かれた。安いアパートなので隣の音が筒抜けしてしまうのだ。夜ともなると、なおさらだった。

 タケユキが眠っている2人を見た。こんな大声を出したにも関わらず、桑田くんも根本も全く気付かずに眠り込んでいた。

「言えって……」隣の住人を怒らせないように声のトーンを下げる。「誰にも言わないからさ……こいつらも寝てるし」

「ほんとに?」

「だーいじょうぶだから」

 煙草が短くなってきたので、灰皿に押し付けてもみ消した。新しい煙草を取り出す。そのタイミングで、ポツリとタケユキが言った。

「……ヒカリ……」

 タケユキの顔が真っ赤になった。俺は、言葉に詰まった。ただ、(マジかよ)と思った。

当のタケユキはというと、自分の発言に大いに照れていたため、こっちの顔なんかを見ている余裕はなかった。

そのはずなのに、しばらくして、タケユキが言った。

「どうしたの?火、つけないの?」

「あ、あぁ……ちょっとぼぉっとしてた」

 煙草の煙を深く吸い込んで、俺はなんとか落ち着こうとした。別に慌てることはない。ただ、こいつが一方的に片思いしているだけなのだ。でも、いい気分ではなかった。

「北川くんは……」

 タケユキの言葉を俺は遮った。

「お前、どうすんの?告白すんの?」

「え!?」

 タケユキが再び真っ赤になった。

「そんな!まだ早いよ!」

「は?何言ってんの?お前さ、ヒカリが他の男にとられて良いわけ?ぐずぐずしてたら他のヤツが告るだろ?っていうか、彼氏いるかもしれないだろ?」

「それは……大丈夫」

「は?なんでそんなこと言えんだよ」

「カオルが言ってた。この中に彼氏のいる子はいないって」

 いつの間にそんな情報を得ていたのだ。俺は少しムッとして言った。

「そこまで知ってるんなら、じゃあ告白しろよ」

「え……え?それは……だって俺、今まで告白とかしたことないし……」

「だから?」

 タケユキがおろおろしている。でも俺は救いの手なんか差し伸べない。そう思っていた矢先にタケユキの口から予想外の言葉がもれた。

「北川くん、俺に協力してよ」

「は?ヘタレかよ」

「お願い!こんなことお願いできるのさ、北川くんだけなんだよ!」

「お前な……」

 俺はしばらく無言で煙草を吸っていた。

(マジかよ……)

 再び思った。なんだよ、協力って……。

 俺だって、ヒカリのこと、ちょっと良いなって思ってるんだけど。こんなこと、口が裂けたって言える訳ないよな。

「北川くん」

 タケユキが前のめりになった。俺は、タケユキの必死な顔をチラッと見て、こう答えるしかなかった。

「分かったよ」

 

    7

 タケユキがヒカリのことを好きな話は、1週間もしないうちにメンバーの知ることとなった。別に俺がバラしたわけじゃない。眠っていると思っていた桑田くんが、実はタヌキ寝入りだったのだ。
 ヒカリは、週の半分ぐらい、カオルやアサミと一緒に学食に顔を出した。

「またカレー食べてる。よく飽きないよね」

 最初に口をきくのは、だいたいカオルだった。カオルは口から先に生まれてきたみたいに、よく喋る。いつも髪を巻いて、ひらひらしたスカートをはいている。

「うまいよ?ここのカレー。味噌汁ついてるけど。良かったら食ってみ?」

 支部長が答える。

「ほんとだ!カレーに味噌汁!おかしくない?」

「ねー、変わってるね」

 アサミも楽しそうに相づちをうっている。こういう時、ヒカリは何をしているかというと、学食のメニューを眺めている。話を聞いていない。マイペースらしい。今日もTシャツを着ている。やっぱり胸元が目立つ。
 こちら側から、桑田くんや根本がジロジロ見ているのに、ヒカリは気がつく様子がない。タケユキが真っ赤な顔をして見惚れていることだって、もちろん気がついている様子はなかった。

 かと思えば、急に振り返ってポツリと言った。

「親子丼て、おいしいの?」

 俺はドキッとした。なんといっても、この日に限って俺は親子丼を食べていたのだ。もしかして俺に聞かれたのか?とも思ったけど、ヒカリは俺のことをじろじろ見ている感じではなかった。俺は聞こえない振りをすることにした。

 俺の隣で、桑田くんがタケユキを小突き、目で合図している。

(答えてやれよ)と。

「うまいよ!」

 タケユキが勢いよく答えたけど、キレイに声が裏返っていた。それが恥ずかしかったらしく、顔を真っ赤にしてへらへら笑っている。ほんとうに、男らしさなんて欠片もないやつなのだ。

「あ、そうなんだ」

 ヒカリが答えた。質問しておきながら、ちょっと、あっさりしすぎな返事だった。

「ちょっと。タケユキさ、何で赤くなってるの?昼間から飲んじゃった?」

 カオルがタケユキをからかっている。

「う、うん……ちょっと飲んじゃった……」

「何それ!ダメじゃん!ねぇ!」

 カオルがツッコミ、周りを巻き込んで笑っている。ヒカリも一緒になって笑っていた。そうかと思ったら、思いついたようにポツリと言った。

「あーでも、昼間から飲むの楽しいよね」

「でしょ?」

 ヒカリの言葉を聞いて、タケユキのテンションが一気に上がった。

 俺も、ヒカリのマイペースな答えが面白くて、思わず少しだけ笑ってしまった。その瞬間、笑顔のヒカリと目が合った。とっさに目をそらす。ヒカリに冷たい印象を与えたかもしれなくて、なんとなく視線を上げづらくなった。

「親子丼かぁ……」

 ヒカリが呟いている。とてもマイペースだ。

「なに?ヒカリ、親子丼にするの?」

 カオルが横から入ってくる。

「なんか、おいしいんだって、親子丼。カオルちゃんは何にするの?」

「えーと、あたしはぁ……」

 喋りながら女の子3人は券売機のほうに歩いて行った。ヒカリの後ろ姿を、タケユキがぼぉーっと見つめている。

「タケユキ、お前さぁ、告ればいいじゃん」

 真弓が言った。この男はほんとうに無責任に発言をする癖がある。

「え!?……え?何言ってんの!?」

 タケユキが真っ赤になって慌てている。その勢いで、奴の手の箸が躍り上がり、ポタリと床に落ちた。

「もー……落ちちゃった……真弓がいきなり変なこと言うから……」

 女の子みたいにブツブツ言いながら、タケユキが箸を取り換えに行く。その途中でヒカリたちと行き会い、真っ赤な顔で何か喋っている。女の子たちの笑い声が起こる。

 戻ってくるタケユキ。顔が赤くなって、すごく楽しそうだ。

「俺のおかげでヒカリとお喋りできたんだぜ?」

 真弓がドヤ顔をしている。

「何、喋ってたんだよ」

 桑田くんがニヤニヤしながら聞いた。俺も、それとなく耳をそばだてる。

「内緒!」

 タケユキが、小さなガキみたいに肩をすくめた。俺はちょっと舌打ちをしたい気持ちになった。

 そこへヒカリたちが戻ってくる。

「俺も親子丼にすればよかったな」

 タケユキがわざとらしく言った。でも、これがこの男の精一杯なのだ。

「また、いつだって食べられるでしょう!?」

 カオルが思いっきりツッコんでいる。彼女はタラコスパゲティを頼んだらしい。そこにも、もちろん味噌汁がついていた。

 ヒカリは結局、親子丼にしたらしかった。嬉しそうにテーブルにつく。そんな彼女を横目に見ながら、タケユキが声を上ずらせて言った。

「いや分かんないよ。学食が今日でつぶれるかも……その時になってさ、親子丼食べておけば良かったな……って思うかもしれないよ?」

「そんな訳ないよ!」

 カオルが大げさに答えた。

「ねぇ!ヒカリ?」

「えー?そんなの分かんないよ?」

 ヒカリがおどける。

「そうそう!そうだよ!」

 ヒカリの同意が得られたのが、よっぽど嬉しかったらしい。タケユキが前のめりになっていた。と思いきや、ヒカリと目が合ったとたんに、急に顔を赤くして黙り込んでしまう。びっくりするほどシャイな性格だ。さすがに、そんなことをしていたらヒカリ本人にもバレるんじゃないのか?

 ヒカリはと言うと、ちょっと首を傾げただけで、食事にとりかかっていた。タケユキの気持ちを察している雰囲気はない。もしかして、意外と鈍感な子なのか?

「ヒカリってそんなに親子丼好きだった?」

 カオルが、うどんでも食べるみたいに豪快にパスタを食べている。

「え?……普通!」

 ヒカリが肩をすくめる。茶目っ気たっぷりの仕草だ。その会話を聞いていた連中から笑いが起こった。俺も思わず笑ってしまった。

「なんだよ、それぇ。普通かい」

 カオルが大げさにツッコミを入れ、ヒカリは「えへへ」と笑った。そして言った。

「なんか……北川くんのがおいしそうに見えたから」

「え?俺?」

 思わず顔を上げる。まさか俺のことなんか見てると思っていなかったので、正直にびっくりした。

 ヒカリが、俺に向かってニッコリと笑っていた。ヤバい。やっぱり、この子は可愛いんだよ。ときめいちゃうよ。くそ。タケユキの話なんか聞くんじゃなかった。

 うまいよとか、普通だよな(笑)とか、言いようはいくらでもあった。俺は好きだけど、とか。それなのに、頭の中で言葉が空回りした。結局、俺の口から出たのは、

「あ、そう……」

 だった。それだけ言って、また親子丼を食べ始めた俺に、支部長が言った。

「なんだよお前。その冷たい言い方は。だからモテないんだぞ?」

「はぁ!?お前に言われる筋合いはねぇよ!」

 とっさに言い返すと、笑いが起こった。ヒカリも笑っている。すごく楽しそうに笑ってくれたから、それだけで何となく、気持ちが救われたような気がした。

「やっぱり親子丼にしとけば良かった。今日、迷ったんだよな……」

 タケユキが、心底ガッカリしているようだった。なんという単純さだろう。でも、こいつのそんなところが、ちょっと羨ましかったりする。

    8

 ある夜、俺たちは「作戦会議」という名目で飲み会をやった。集まった店は、とにかく安く飲み食いできるチェーンの居酒屋で、俺たちの定番になっていた。

 メンバーはいつもと同じ。支部長、真弓、桑田くん、根本、俺、そして今回の主役にあたる男のタケユキだった。なぜ、やつが主役なのかというと、タケユキの恋愛を成就してやるための作戦会議、というのが今回の名目だったからだ。

 しょうじき、俺は気が進まなかった。でも、「俺は……」と言いかけた時に、「お前はタケユキの味方じゃないのか?」という理不尽な言いがかりを付けられて出席せざるを得なくなった。

 今回は、主役のタケユキを支部長と真弓が挟み、その向かいに根本、桑田くん、俺が陣取った。

 注文していたビールジョッキがテーブルに並ぶと、真弓が音頭をとった。

「タケユキの健闘を祈って……乾杯!」

 みんなが面白そうにグラスを合わせる。タケユキといえば、飲む前からすでに真っ赤になっている。それが面白くて、みんな、こいつをからかうのだ。

 真弓はすぐに飲み干してしまい、早くも次のオーダーをしていた。俺も何となく飲みたい感じだったので、「同じの」と伝えた。

「お前、珍しく早いな。どうした」

 真弓が楽しそうに聞いてきた。

「別に」

 ぶっきらぼうに俺が答えると、 桑田くんが横から入ってきた。

「お前、なんか今日、機嫌悪くねぇ?」

「え?そうなのか?」

 真弓が俺の顔を覗き込む。

「そんなことねぇよ」

 俺は思わずそっぽを向いた。すると、俺の頬に視線が集まっているのを感じた。でも黙って煙草を取り出した。そうしないと、イライラして仕方がなくなりそうだった。

「マジで機嫌悪そうだな」

「え?なんで?」

「いや、北川くんはいつもこんなだろ?」

 それぞれに言いたい放題に言ってくれる。俺は灰皿を引き寄せると煙草に火を付けた。

「あぁ!お前さ、もしかしてヒカリのこと好きなんじゃねぇの?」

 真弓が声を上げた。俺はドキッとした。慌てて振り返ると、真弓がニヤニヤとして俺の顔を見ている。

「はぁ?お前ふざけたこと言ってんじゃねぇよ!」

 俺が言いかえすのと同時に、タケユキが声を上げた。

「え?そうなの?」

「北川くん、顔、赤くねぇ?」

 真弓がからかってくる。俺は顔が熱くなるのを感じながらも、精一杯に睨みを利かして言った。

「くだらねぇこと言ってると殺すぞ」

「怖っ」

 真弓が肩をすくめている。俺はいち早く話題を変えたくて、平静を装った。

「つうかさ、タケユキのために集まってんだろ?普通に飲んでる場合じゃなくね?」

「一番飲んでる奴のセリフか?」

 真弓がおどけて言い、笑いが起こった。さっきから、からかわれてばかりの状況は腑に落ちなかったが、俺に向けられかけた変な疑惑からは注意がそれたらしかった。

 そうこうしているうちに、追加で頼んだビールが運ばれてくる。

「じゃ、景気づけに」

 真弓が訳の分からない理屈を言って、また勢いよくビールを飲んだ。俺も1杯目を飲み干して2杯目にとりかかった。たいしてうまくもないけれど、どうしても飲みたい気分だった。

「ヒカリのどこが好きな訳?」

 真弓がニヤニヤしながら聞くと、タケユキはいっそう顔を赤くして、

「どこって……」

と、口ごもった。

「お前、巨乳好きだもんな。AVも、そんなんばっかりだろ」

 酔っ払った支部長が絡んでくる。

「そ……そんなことないよ!」

 タケユキが慌てている。

「じゃあ、どこなんだよ」

「言えよタケユキ!」

 みんなから交互に問い詰められて、タケユキがこれ以上ないというぐらいに顔を赤く染めながら、とても小さな声で言った。

「なんか……いい子だろ?一緒にいたら楽しそうだし……」

「で?付き合いたいんだろ?」

 こくんとタケユキが頷いた。女子か。

 こんなタケユキの反応を見て、野郎どもが一斉にドッと沸いた。口ぐちにタケユキをはやし立てて盛り上がっている。このノリに、ちょっと、ついていけなかった。

 俺はビールを飲み、煙草を吸った。さっきのタケユキの言葉について考えていた。タケユキはヒカリの性格に惚れたらしかった。そういうのって、マジな感じがした。タケユキは今まで誰とも付き合ったことがないと言っていた。初恋とかいうのだろうか。

「やつもとうとう卒業する日が来るのか……」

 しみじみとつぶやく声がしたので顔を上げた。真弓だった。目を細めて、うまそうに煙草を吸いながら、ビールを飲んでいる。こいつには、このふたつさえあれば良いんじゃないかと思えるような幸せそうな顔だ。

「とっとと告っちゃえばいいんだよ」

 俺がこぼした言葉を拾ったのは、真弓だった。ビールジョッキを握りしめたまま、

「だよな!で、思いっきり振られちまえよ!」

「ひどいよ真弓!」

 タケユキが悲壮な声をあげた。真弓はにやっと笑って片手を上げる。

「あ!ごめんごめん。つい本音が」

「もうー!」

 タケユキが頬をぷっと膨らませて怒った。だから、女子か。

 この飲み会の結果、次の週末にサークル活動をすればどうか、ということになった。

 誰が言い出したのか、ローラーブレードをすることになった。タケユキがヒカリに肩を貸してやって、滑り方から何から教えてやれば、自然と距離も縮まるだろう、という安直な考えだった。古い。昭和か。平成も終わったというのに。

 それなのに、誰も反対するものがいなかった。

   9

 そして週末が来た。待ち合わせの場所に、野郎どもが集まっている。女の子たちは、まだ来ていない。

「しっかりやれよ、タケユキ」

 真弓が明るく背中を叩くと、タケユキは真っ赤な顔をして頷いた。

「そうだぞ?タケユキ。今日はお前のために集まってやってんだからな」

 支部長がエラそうな口をきくが、彼の小柄な体格とヘルメットのようなヘアスタイルのおかげで、ちっともエライ感じが出ない。

「分かってるよ!」

 タケユキが変なハイテンションになっている。まわりの連中が、それを受けて盛り上がっている。そのノリに、やっぱりついていけなくなって、俺はひとり、シューズを履いて滑り出した。

「俺もやろ」

 桑田くんも滑り出す。俺のところまで滑ってきて、

「北川くんさ、タケユキに協力してやんの?」

と、ぽそっと言った。

「あぁ、まぁな……」

「ふぅん」

「なんだよ」

「別に?」

 桑田くんの言葉の意味が分からず、居心地の悪さを感じた。それをごまかすように、桑田くんに質問を返す。

「桑田くんは協力しないのかよ」

「俺?俺はいつだってタケユキの味方じゃん?」

「嘘つくなよ」

 会話が途切れ、桑田くんは「ふふっ」と笑って滑って行ってしまった。

 やがて女の子たちがワイワイと楽しげに喋りながら集まってきた。女の子が集まってきたというより、ワイワイと楽しげなお喋りがやってきて、振り返ったら女の子たちがいた、という感じだろうか。

「何それ。ローラースケート?」

 この日も、まっさきに口を開いたのはカオルだった。

「まーそんなようなもんだよ。ローラーブレードって言うんだけど……」

 支部長が答えている。なんだかんだ言っても、世話を焼くタイプなのだ。だから支部長をやっている。

「難しそうじゃない?」

 アサミが横から言う。

「あたし、運動あんまり得意じゃないからな……。見てるだけでも良いや」

「あたしも。だってスカートだし」

 カオルがすぐに言う。今日もひらひらしたスカートをはいていた。これでもし、ヒカリまでもが「やらない」と言い出したら、今日という日そのものが失敗に終わってしまう。桑田くんや根本が顔を見合わせ始める。支部長が一歩、前に出る。

「そんな難しくないんだよ?俺たちだってたいして練習もしてないぜ?北川くんだって、たいして練習してないもんな」

 急に話を振られた俺は、「あ、あぁ……」としか答えられなかった。

「うーん。別にそこまでやりたいとも思わないし……」

 カオルがあっさりと切り捨てた。その上で、

「ヒカリはやれば?」

 と無責任に言い放った。話題の矛先となったヒカリは、

「やってみる。でも、やったことないから分かんないよ」

「大丈夫、大丈夫」

 支部長が明るく応じる。

「タケユキが教えるから」

「あ、そうなの?」

 ヒカリが驚いている。その声を聞きながら、俺はまだひとりで滑っている。ここは俺の出る幕じゃないから。

「大丈夫なの?タケユキで。なんか、ひょろそうじゃない?」

 カオルが横やりを入れる。

「そ……そんなことないよ!こう見えて細マッチョ!」

 タケユキのテンションが、やはり変に高い。

「うそぉ!」

 カオルがおどけている。ヒカリは何も言わず、ただやり取りを聞いている感じだった。

「いや?」

 おずおずとタケユキがヒカリに聞いている。

 その声を聞きながら、俺はイライラしてきた。もっとガンガン行けよ。マジで男らしくねぇな。

「そんなことないよ」

 ヒカリが明るく応じる。俺はまだ滑り続ける。ひとりになりたかった。

 ヒカリがシューズを履くと、タケユキが両手を差し出した。その手につかまったヒカリが、へっぴり腰で立ち上がる。足元がふらついている。それに、ちょっと怖そうだ。

「ためしにさ、滑ってみろよ!」

 支部長がなんとか盛り上げようと声をかけた。

「え?もう?」

 ヒカリが驚いている。答えたのはタケユキではなく、再び支部長だった。

「大丈夫だよ。タケユキにつかまってれば」

 当のタケユキは真っ赤な顔をしたまま、一言も発していない。ものすごく緊張しているらしいことだけは伝わってきた。

 だから、ヒカリが準備できていないにも関わらず、いきなり滑り出してしまった。

「ちょ、ちょっと待って!」

 ヒカリの慌てた声がする。ヒカリがよろけ、タケユキがそれを抱きとめた。ちょっと目をそらしたいような光景だった。

 次に見た時、タケユキは顔面を真っ赤にして、

「あ、ごめんごめん!」

と、慌ててヒカリに謝っている。ヒカリは怒っていなかったが、さすがに笑顔ではなかった。

「しっかりしろよ!タケユキ!ヒカリに怪我させんじゃねぇぞ!」

 真弓がヤジを飛ばす。

 遠くから眺めている俺に、支部長が目配せをした。何かと思ったら、こっちに来るように手で合図を送ってきた。言葉は発しないが、目線で「あいつらのジャマをするな」と言ってきた。俺はメンバーが固まって立っている場所に戻ることにした。

 その時だった。

「すごいね!」

 ヒカリの声がした。振り返ると、ヒカリが俺のことをまっすぐに見ている。

「北川くん、すごいうまいね!」

「いや別に、こんなの普通だよ」

 褒められると思っていないタイミングだったので、完全に油断していた。俺は頬が緩むのを隠せなかった。

(お前が褒められてどうするんだよ)

と、支部長が囁いてくる。

 タケユキはヒカリを支えながら、ゆっくりと滑り出した。「大丈夫?」「うん。大丈夫だよ」という会話が1度、聞こえただけで、あとはお互いに黙ったままだった。緊張するにも程がある。そして、ほんの1周しただけで、俺たちの元に戻ってきた。

「もう終わりかよ!」

 周りに突っ込まれて、タケユキは恥ずかしそうに頷くのみだった……。

    10

 その後、みんなでファミレスに行って早めの夕食をとることになった。女の子たちをまずテーブルにつかせ、ヒカリの隣にタケユキが座るように仕向けた。それなのに、案の定、タケユキはヒカリに話しかけることすらできずにいた。

 カオルが喋り、まわりがそれに反応し、笑い、笑い声がフェードアウトして沈黙。支部長が桑田くんに話しかけ、根本が加わり、それもフェードアウトして沈黙。真弓が、「な、タケユキ!」と話を振り、「う、うん」とタケユキが答え、それすらもフェードアウトして沈黙……という繰り返し。

 やがて、変にぎこちない空気が漂い始めた。

「ねえねえ」

 沈黙を破るように、ヒカリが口を開いた。

「北川くんは、どんな洋楽を聴くの?」

 ドキッとした。そして、この間のギターの話の続きなんだと気がついた。俺の中で、あの会話はとっくに終了していたのに、ヒカリの中では続いていたらしい。でも、よりによって俺に話しかけてくるか。この微妙なタイミングで。

「うんうん。なに聴くの?」

 話が弾まなくて退屈していたらしく、カオルが調子を合わせてくる。

 今回の主役であるタケユキは、しずしずとラーメンをすすっている。

「教えない」

 俺はなるべく素っ気なく答えた。

「えー!?何それ」

 カオルのオーバーアクション。

「ひどーい」

 アサミが同調する。

「その言い方はないだろ」

 なぜか支部長まで同調している。女子か。

「別にそこまでして教えてくれなくてもいいし!ね、ヒカリ」

 カオルのこの言葉で終わるかと思ったら、ヒカリがこう言った。

「じゃ、当ててみる!ヒントは?」

「は?」

 予想外のリアクションに、俺は驚いて振り返らざるを得なかった。ヒカリがわりと真面目な顔で俺のことを見ている。予想外すぎて言葉につまった。

「北川くん、ヒントだってよ、ヒント!」

 真弓のヤジを俺はスルーした。すると、ヒカリがいくつか洋楽のバンド名を上げて、そのつど、「これは好き?」と聞いてきた。テレビで取り上げられるような超メジャーなバンドばかりだった。俺はそのつど、「いや」「聞かない」と素っ気なく答えた。やがてヒカリの持ち駒がなくなったらしい。考え込むような顔になって、黙ってしまった。そんな顔もまた可愛くて、ちょっとキュンとしてしまう。つらい。

「ヒカリってホテイだけじゃないの?」

 カオルが横から口を出してきた。

「いろいろ聞いてみたいって思って……」

 ヒカリが照れくさそうに笑った。そしてまた静けさが戻ってくる。俺は、だんだん飯の味が分からなくなってきた。

「お前さ、タケユキ」

 俺は沈黙に耐えかねて、隣でラーメンをすすっているタケユキに話しかけた。

「最近、なんか聴いてんだろ?なに聴いてんだよ」

「え?俺?」

 タケユキが箸をとめ、嬉しそうに話し始める。それを女子たちが頷きながら聞いている。さっきからこのパターンだった。

 でも、会話が続かない。再びの沈黙がやって来た。

(またかよ)

 俺はイライラしてきた。いくら、こっちが協力しようとしても、本人がこんなに消極的では何にもならないだろう。
微妙な沈黙が続き、時間ばかりが過ぎて、飯も食べ終わってしまったし、解散することになった。

 会計の後、カオルが「カラオケ行こうよ」と言い出したので、女の子たちはそちらに行くことになった。

「みんなも行く?」

 カオルは俺たちにも声をかけてくれたが、

「いや、今日は桑田くんちでタケユキを説教する」

と支部長が言ったので、ここで解散となった。

「じゃあね~、バイバイ!」

 カオルが言い、手を振って別れた。ヒカリが笑顔で、みんなに手を振っている。タケユキが嬉しそうに振り返している。ヒカリが俺に手を振っているのは分かった。だけど、俺は手も振らずに歩き出した。

 このままでは、情けない男の片思いが未来永劫まで続くだけのお話になりそうだった。

「今度こそちゃんとやれよな」

 桑田くんのアパートで説教をされ、尻を叩かれたタケユキは、真っ赤な顔で頷いた。やつの目は真面目だった。本気でヒカリのことを好きらしかった。

 俺はタケユキを応援することに決めた。そう思うことで自分を納得させるしかなかった。

 タケユキのため、とくに理由もなく、再び飲み会をすることになった。

    11

 いつもの学食で、支部長が、

「飲み会やるけど来る?」

と女の子たちに言うと、口ぐちに「行く!」という返事だった。

 正直に言うと、俺は行くか迷っていた。空気を伺いながら飲むなんて好きじゃない。たしかに女の子がいる飲み会は楽しいけど、いつまでもビビッて何もできないタケユキを見ているのは面白くなかった。

「お前も行くよな」

 真弓が、確認するまでもないけど、みたいな言い方をしてきたけど、俺は渋った。

「えー?どうしようかな……」

「え!?何で何で?」

 いきなり会話に割って入ってきたのはヒカリだった。それまで、女の子同士で楽しそうに喋っていたはずなのに。

 彼女は飲み会が好きらしく、いつも楽しそうにはしゃいで喋っては、周りを巻き込んで盛り上がっていたから、俺の気持ちなんか分からないのだろう。

 俺が返事につまっていると、ヒカリがさらに聞いてきた。

「何で?何か予定でもあるの?」

「いや、別に……」

 こういう時に、気の利いた嘘が言えない。

「じゃ、良いじゃん!ね!」

 ヒカリが言い、

「そうだぞ?どうせ予定もないんだからさ、楽しく飲み会しようぜ」

 真弓が追い打ちをかけた。俺は行かざるを得なくなってしまった。でも、ヒカリが俺に声をかけてくれたこと、ちょっとだけ嬉しかった。嬉しいと思う分だけ、切ないのだった。

   12

 飲み会の席で、いつも通り、俺はマイペースに飲んでいた。みんなではしゃいだり騒いだりするのは、嫌いではないけど、そんなに得意でもないから。

 すると、ヒカリが俺の隣にやってきた。正直に言うと、それだけでドキッとしてしまう。まわりの目も気になるし。俺は身構えた。

 ヒカリは、ちょっと酔っているようだった。赤くなっている。

「ねえねえ」

と、舌足らずに話しかけてくる。

「なに」

 俺の態度は素っ気なかったはずだ。それなのに、ヒカリはまっすぐに俺のことを見て、聞いてきた。彼女の目を、俺は直視できない。

「北川くんて、彼女とかいるの?」

 思いもよらない問いかけだった。だから、俺は少し動揺した。

「いないけど」

「そうなんだ……」

 ヒカリは一瞬、視線を外した。俺はヒカリの顔をなんとなく見た。次に何を言い出すのだろう。とても気になる。

 ヒカリはと言うと、なかなか次の言葉が出てこないようだった。まさか、会話はこれで終わりなのだろうか。だったら、どうして、いつまでも俺の側にいるのだろうか。

 俺は、なんとなく胸騒ぎがした。この感じ、前にもどこかで遭遇したような気がするけど、思い出せない。

 ただ、なんだか落ち着かなくてビールを飲んだ。

 俺がビールを置くのと、ほぼ同時にヒカリが言った。

「それなら、私を彼女にすれば?」

「は?」

 俺は聞き返した。冗談なのかと思った。

 ヒカリはまわりを少しだけ気にしてから、もう一度、俺に向かって言った。

「だから、私のことを彼女にすればいいじゃん」

 ヒカリの顔は、冗談を言っているふうではなかった。

「お前、ちょっと来い!」

 俺はとっさに言った。

「え?」

 今度はヒカリがポカンとしている。

「いいから、来いよ」

 周りの連中は好き勝手に飲んで大騒ぎしている。タケユキのためとか言いながら、結局は自分たちが飲んで騒いで楽しみたい連中なのだ。

 主役のはずのタケユキは今、トイレにでも行っているらしくて姿が見えなかった。タイミングが良いのか、良くないのか分からなかった。

 俺が立ち上がると、ヒカリも続けて立ち上がった。

 店の外に、小さな公園があったはずだ。とりあえず、そこに行くつもりだった。

 どうして今。どうして俺に。俺は何とも言えない気持ちになった。

 そして、ふいにある記憶がよみがえった。

 一年ほど前だろうか。いきなり俺の横にやって来て、

「彼女いないなら付き合って」

と告白してきた女の子がいた。

 彼女とは付き合い、今は元カレ・元カノの関係になっている。あんな振られ方をしたせいで、俺はちょっと自信を喪失していた。

 ヒカリもそうなのか。好きだとか言っておきながら、付き合っていくうちに俺のことをキライになってしまうのだろうか。

 そんなことを考えて、俺は少し暗い気持ちになった。

 俺の後ろから、ヒカリが黙ってついてくる。

 いつもながらに人の気配のしない公園に着くと、俺は我慢できなくなって煙草に火を付けた。煙を吐きだすと、後ろを振り返った。ドキッとした。

 夜風に髪をなびかせる彼女は、とても魅力的で、直視していられなかった。俺は黙って煙草を吸い、まずは落ち着かなくてはと思った。

「酔っ払ってんの?」

 俺が尋ねると、ヒカリはまっすぐに俺を見てキッパリと答えた。

「酔ってないよ。なんでそんなこと聞くの?」

「酔っ払ったイキオイで言ったんだったら問題だったってこと」

 俺はなるべくエラそうに答えた。

「お前さ、自分が何を言ったか分かってんの?」

 煙草の煙が彼女のほうに流れていくのが気になる。俺は少しだけ、そっぽを向いた。

「分かってるよ。なんで?」

 ヒカリの言葉が、いつになく真面目なトーンだった。公園の小さな照明が、彼女の瞳に星を作っていた。まっすぐに俺を見つめる瞳。ダメだ。ヒカリと付き合うのは俺じゃなくてタケユキなのだ。俺は、自分を奮い立たせる。

「あんなふうに言うことじゃなくね?」

「え……」

 彼女の瞳が揺れる。

「あんなふうに言われたらさ、酔ったイキオイって普通、思うだろ?」

 ヒカリは驚いた顔になった。でも、すぐに真面目な顔に戻って、きっぱりと言った。

「勢いで言ったわけじゃないよ」

 俺の中でいろんな声が飛び交っている。

(タケユキの応援するんだろ?)

(でも、これって両想いなんじゃないのか?)

(断る理由ってあるのか?)

(断らなければサイテーの男って思われるぞ、きっと……)

 きっと軽蔑されるだろう。タケユキを裏切ることになる。サークルにいられなくなるかもしれない。俺の中で、いろいろなものが天秤に乗っかって非常に辛い状況になった。

 何も言葉が出てこない。ヒカリも黙っている。このまま二人きりでいるという状況も無用な詮索を生むことになるし、どうにかしなくてはいけなかった。じゃ、どうする?

「私のことキライなの?」

 ヒカリがまっすぐに俺を見つめて言った。

「キライとかじゃないけど……」

 言葉が続けられなくなり、俺は煙草を吸った。キライだなんて嘘は言えなかった。でも本音も言えなかった。俺は煙草を吸いながら、黙っていた。

「ダメなの?」

 ヒカリが悲しげな声で言った。

「わたしが彼女じゃダメ?」

 ダメじゃない!と言ってしまいたかった。でも、言う訳にいかなかった。俺はいろいろな思いをシャットダウンして答えた。

「ダメだね」

 ちらっとヒカリの顔を見る。辛い気持ちを悟られないようにと思ったら、睨むような目つきになってしまった。本当はそうじゃないのに。

 ヒカリは俯いてしまった。

 終わった……と思った。

 2人の間を風が通り抜けていく。俺は煙草を吸いながら、自分の胸に感じた痛みについて知らない振りをした。

「なんで?」

 ヒカリが泣きそうな声で聞いてきた。

(あぁ……)

 俺は前の彼女を思い出した。俺に別れを切り出した彼女も、最終的には感情的になって泣いた。泣かれると、どうしたら良いのか分からなくなる。何を言っても聞いてくれないし、ただ一方的に非難されている気持ちになる。

「ねえ、なんで?」

 納得のいかないヒカリが、もう一度、俺を問い詰めた。

 俺は短くなった煙草をもみ消すと、ヒカリの顔を見ずに言った。

「タケユキがお前のこと好きなんだって」

「え?」

 ヒカリの言葉を遮るように、矢継ぎ早に俺は言った。

「だから、……俺は、お前とタケユキをくっつけるつもりだから」

 今度はヒカリが黙ってしまった。おそるおそる彼女の顔を見ると、ヒカリは俺の顔をじっと見つめていた。そして、何故か、少しだけ微笑んだように見えた。

「戻るぞ」

 俺は歩き出した。後ろからヒカリの足音がついてくる。

「タケユキなんか興味ないんだけど」

 ヒカリがそう言ってくれるのを、俺は心のどこかで期待していた。でも、ヒカリは何も言わなかった。

 居酒屋に戻ると、真弓が、

「お前ら、どこ行ってたんだよ!怪しいな!」

と、真っ先に声をかけてきた。

「別に……」

 ぶっきらぼうに言いかけた俺の言葉をかき消すように、ヒカリが言った。

「秘密!」

 それは、いつもの彼女らしい、とびきりチャーミングなトーンだった。仲間たちが沸いた。そんな騒ぎが、今の俺にはとてつもなく他人事のように聞こえた。

 俺はもといた場所に座った。

「どうしたの?どこ行ってたの?」

 タケユキが心配そうに聞いてきたが、俺はまともに答えてやる気持ちになれなかった。ただ、ちょっと殴ってやりたいような気持ちにはなっていた。

    13

 飲み会の後、タケユキはいつもの通り、俺のアパートに泊まりに来た。俺と2人きりになったとたん、

「さっきは何してたの?」

と聞いてきた。

「あん?」

 俺はポケットの煙草を探りながら聞き返した。

「ヒカリと一緒にどっか行ってたでしょう?どこ行ってたの?」

「あぁ……」

 俺は本当のことを言ってやりたい衝動にかられたけど、

「よく分かんねぇ。なんか、相談とか言って。たいした内容じゃなかったぜ」

と、適当に答えておいた。

「そうなんだ。良かった!」

 タケユキが嬉しそうな顔になった。この単純さ。なんとも言えない気持ちになる。俺はこいつのためにひと肌脱いでやるのだ。

 そうでも思わなければ、やっていられなかった。

 コンビニで適当に買い物をしてアパートの部屋に戻ると、俺はタケユキに言った。

「月曜日にヒカリに告れよ」

「え!?ムリだよ!」

「ムリじゃねぇよ。告るんだよ。俺、ヒカリに言ったからな。お前がヒカリのことを好きだって。俺はタケユキとお前をくっつけるからって」

「なんでそんなこと言うんだよ!」

「そうでもないと、お前は行動に移せないだろう?へたれなんだから!」

 俺はタケユキの目をまっすぐに見た。タケユキが真っ赤な顔で、今にも泣きそうになっている。

「月曜日、ヒカリに会ったら、俺は言うからな。今日、タケユキがお前に告るからって」

「え……待って!」

「待たねぇよ!俺だって暇じゃねぇし、いつまでもお前の手伝いなんかしてられねぇっつうの!俺の仕事はここまでで終わりだから。甘ったれるのも大概にしろよな」

 俺は最大限にタケユキを突け放した。タケユキは今にも泣きそうだったが、俺の決意は揺るがなかった。

 これで、俺はタケユキを裏切ったことにはならない。こいつがヒカリに告白できるようレールを敷いてやったのだ。それで十分じゃないか。

 きっとヒカリのことだから、タケユキを振るだろう。そんな思いが、俺の中にかすかな望みの光のように浮かんでいた。

 ほとぼりが冷めた頃に、ほんとうのことを伝えよう。俺はあの時、友情を取らざるを得なかったんだということを。

 俺はさっきヒカリに伝えた。「キライではない」と。この言葉が彼女に伝わっていることを願った。

 置きっぱなしのギターがふと目に止まる。

 ヒカリが聴こうとしている洋楽を、弾けるようになっても良いかな……なんてことが頭をよぎった。

作品は著作権で保護されています。

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