彼の言葉は誰かのためになる

↑「あとで」は、しおり代わりに使えるよ↑

作者:葉月透李

 


「お疲れ様です」

 早々に仕事を切り上げ、周りの人達に声をかける。
 お疲れ、お疲れ様ですの言葉を聞きながら、その場から離れようとした。

「瀬戸さん」

 声をかけられ振り返れば、長い髪を一つにまとめている女性。
 総務を担当している関谷さんだ。

「今月懇親会があるんだけど、参加は」
「すみません、不参加で。用事があるので」

 頭を下げ、歩き出す。
 関谷さんの顔はあえて見なかった。

 すると、後ろの方でひそひそ声が聞こえた。

「なにあの態度。相変わらず愛想がない」
「まだ二十六でしょ? それなのになんか……若さがないよね」
「ていうか暗い」
「懇親会、今までも何度かあったけど全然参加してなくない?」

 ひそひそ話しているようで、その声はだいぶ大きい。
 きっと聞こえるように言っているんだろう。

 でも私は気にしない。そんなのどうだっていいし。
 行きたくないから行かないだけだ。

 私は気にせず大股で歩いた。

 

 帰りはいつもの電車に乗り込む。

 今日も電車は混んでいて、当たり前のように座る場所はない。
 出入口付近の手すりに身体を預け、スマートフォンを開く。

 休憩時間しか開くことはないから、通知が溜まっていた。一つずつ返していく。

 電車が発車する一分前。
 
 こちらに向かって小走りでやってくる人がいた。
 もうすぐ発車の音楽が鳴る。だから急いで乗ったのだろう。

 私の隣に来てもスマートフォンからは顔を上げない。
 どうせ車内が狭いから隣に乗ってきたのだと思っていた。

「――――あれ?」

 隣から声をかけられる。

 反射的に見れば、透明感のある肌にぱっちりした二重の男性がいた。
 整った顔で歳も同い年くらいだ。そう思っていると、彼の方が話しかけてきた。

「瀬戸さん?」
「……なんで私の名前」
「俺だよ、俺」

 にこにことした顔で言われる。

 爽やかでイケメンだなと思いつつ、顔よりも言葉の方が気になった。
 俺俺って、俺俺詐欺か。心の中でツッコむ。

 と、まじまじと彼の顔を見て思い出した。

「もしかして……一ノ瀬くん?」
「そう」

 彼は嬉しそうに微笑んだ。

 一ノ瀬優希(いちのせ ゆうき)。
 同じ大学で同じ学部の友達……の友達。つまり知り合いみたいなもの。

 ゼミで一緒だった子の友達で、紹介されたことがある。

「久しぶりだね」

 笑うと左側にえくぼができた。

 元々容姿がいいこともあって、その笑顔がとても綺麗に見える。
 さすがイケメン。目の保養だ。

 でもあいにく自分は、世の女性陣のようにきゃあきゃあ言うタイプじゃない。

「久しぶり。県内に就職したの?」

 大学卒業後の進路は聞いていない。
 むしろ知り合い程度ならそんなこと話さないし。

 と、彼の服装に目が行く。

 厚手の灰色のパーカーに、黒のスキニーパンツ。同じく黒いリュックサックを背負ってる。
 そして足元は青色のよく見る有名なメーカーのスニーカー。……あまりにもラフ過ぎる。

「ああ。俺、まだ学生なんだ。留学してたから」

 友達の友達、つまり知り合いなわけだが、知り合いなんて他人みたいなもの。
 留学に行った話なんて今知った。元々ゼミの子ともゼミ以外で話したことがない。
 だから、当然一ノ瀬くんのことも知るわけがない。

 にしても留学か。かっこいい。
 周りの友達で留学に行った子なんて一人もいない。普通に卒業して就職した子ばかりだ。

 ちなみに一ノ瀬くんは今三年生らしい。

「瀬戸さんは?」

 逆に質問される。

「私は……事務の仕事してる」
「へぇ。どこの?」
「名の知れてるとこ」

 わざわざ名前を出さなかったのは、ただ単に言いたくなかっただけ。
 むしろ知り合い程度に自分の情報を言いたくない。個人情報だし、言わないといけない義務もない。

 すると一ノ瀬くんは「そうなんだ」とそれ以上は追及しなかった。
 話の分かる人でよかった。もしかしたら、言いたくないっていう雰囲気を悟ってくれたのかもしれないけど。

「それにしても久しぶりだね。元気にしてた?」
「……まぁ」
「瀬戸さんのこと、よく覚えてる。直樹が言ってたよ、文章まとめるのが上手いって」

 直樹、というはゼミで一緒だった工藤直樹(くどう なおき)くんのことだ。
 副ゼミ長を務めるほどしっかりしていて、ゼミの活動でもよく場を盛り上げてくれた。
 成績もよくて発表も上手で、そんな人に影で褒められていたとは恐縮だ。

「別に、私より工藤くんの方が上手かったと思うけど」
「いやいや。ほら、なんかゼミ同士で発表する場あったじゃん。その時の瀬戸さんの指摘がよかったって」

 ゼミ同士で発表する場というのは、年に一度あるゼミナール大会のことだ。
 うちのゼミからも数名参加して、私もその参加者の一人だった。

 ゼミ生で一緒にテーマを考えて、それについて研究して、発表する。
 大変だったけど、今では良い思い出。指摘……という程のことじゃないけど、
 どうすればもっと相手に伝わるか、というのを意識して自分の考えを伝えた気がする。

「そうかな」

 

 お世辞なのか本心なのか分からないけど、褒められて嫌な顔にはならない。
 とりあえずこれ以上はいいと思い、素っ気ない言い方になる。元々褒められるのに慣れていない。

 すると一ノ瀬くんは急に話題を変えた。

「ねぇ、瀬戸さんって高校の時バレー部だったんだよね?」
「え、なんで知ってるの」
「直樹に聞いた。ゼミのみんなでバトミントンしに行ったんでしょ?
 バト部だった立花さんと互角でびっくりしたって言ってた」

 確かに行った。

 バトミントン部だった立花梨加(たちばな りか)ちゃんがやりたいと言い出して。
 私もスポーツが好きだったので参加した。高校までずっと運動部だったことも関係している。

 私がやってたのはバレーボールだけど、バレ―ボールとバトミントンってけっこう似てる。
 落ちてくる球(バトミントンでいえば羽)をどうすれば落とさずに拾えるのか。
 重心を低くして見極めて動く。それが大切になってくるスポーツだ。

「実はさ、仲間達と月一でスポーツしてるんだ。バレーをよくやってるんだけど、
 瀬戸さんもどう?」
「え」

 まさか社会人になってスポーツのお誘いをされるとは思ってなかった。
 スポーツ自体は好きなので行きたいと言いそうになったが、ぐっと堪える。

「でも私、もうそんなに動けないよ」

 大学生の時でさえ身体が重くなっていると感じていた。
 社会人で運動に無縁な今、あの時以上に身体が動くのかって話。

 しかも一ノ瀬くんは見たところ今どきの若者って感じだ。
 つまり、おしゃれな友達が多いに違いない。

 自分で言うのもなんだけど、私は平凡の平凡。どちらかというと地味な方だ。
 だからその中に入ってできる自信はない。きゃぴきゃぴした女子も若干苦手だ。

 すると一ノ瀬君はなぜか両手を合わせて頭を下げてくる。

「頼むよー。経験者が全然いなくてさ。試合をよくしてるんだけど苦手な人とかあんまり楽しめないんだ。
 やってた人に教わったらみんな基礎も学べて楽しめるかなーって」
「……そんなガチで試合してるの?」

 スポーツなんて上手い下手なく楽しんだもの勝ちだ。
 簡単に言えば学校の体育の時間にやるようなもの。

 そんな感じできゃっきゃ言いながらやってるんだと思っていた。

「まぁ男子はいいんだけど女子の中に苦手意識持ってる子もいて。できればみんなで楽しくやりたいなって」

 スポーツなんてなんとなくでも楽しめたらいい。
 雰囲気だけで楽しめるものだ。

 それに、遊びでしているならみんなスポーツが好きなんだと思っていた。
 苦手な人もわざわざ参加しているなんて、それだけみんな仲が良いのだろうか。

「みんな仲いいんだ?」
「そうだね。俺が誘って友達の友達も来てくれたりとか。スポーツは上手くないけど
 好き、って子もいるし。俺が月一でスポーツしよう、って企画してるんだ」

 どうやら月一で行うことでその噂が広まり、今では色んな人が来るらしい。
 友達の友達、兄弟、大人の方も参加されたりとか。人脈が広い。

「時間つくって来てもらってるから、来てよかったってみんなに思ってほしいんだ。
 だから、そのためには教えてくれる人もいるかなって」
「……だったら、指導者とか呼んだ方がいいんじゃ」
「いや、あくまで遊びだから。別に大会に出るわけじゃないし。
 指導者とかになると、逆にこっちが緊張しそうだし」

 一ノ瀬くんは苦笑しながら頭を掻く。

「で、どうかな? 教えるだけじゃなくて、瀬戸さんにも楽しんでもらいたいなって」

 そう言いながら彼は微笑む。

 ……なんというか、こう頼まれると断りにくい。
 そこまでしっかり指導してほしいわけでもないらしいし。

 私は少し迷いつつ、頷いた。

「ただいま」

 家に入って声を出しても返事はない。
 知ってる。お母さんは今日残業だ。

 ちなみに父親はいない。
 幼い頃、母と父は離婚した。

 それ以来、私は母と二人で暮らしてきた。
 家に一人きりなんていつものこと。寂しいなんて今や思わない。

 荷物を置いて、スマートフォンを取り出す。
 青い鳥のアプリを開けば、「慧(けい)」という人物のツイートが更新されていた。

『今日はたまたま同級生に会った。こういうのも縁なんだろうな』

 
 勝手にフォローしているこの人物のつぶやきを見て、少し驚く。
 なんという偶然だろう。私もさっき同級生に会った。

 ふと、この人が会った同級生は、どんな人なんだろうと考える。
 すぐにきっといい人だろうな、と予想する。

 だってこの人もいい人だ。
 それは日々のつぶやきを見れば分かる。

『やっぱり最初はミスが多い。けど、最初からできる人なんていない。同じ失敗さえしなけりゃいい』

『評価ばかり気にする必要はない。良さを分かってくれる人は必ずいるから』

『みんないいところがあるから、自分もそれを見習いたい。悪いところなんてそんな気にしなくていい』

 まるで格言みたいなことをつぶやく。
 言われてみると確かにそうだな、って内容が多い。

 普通、愚痴とか不満を書き込む人が多いものなのに。
 現に私だって、仕事の愚痴や不満はよく呟く。

 疲れた、もう嫌だ、何もしたくない……とか。

 だけどこの人はマイナスな言葉を一切使わない。
 失敗したり怒られたり、何かあっても絶対に否定的なことを言わない。 

 最初はこの人には怒りや悲しみがないのかと思った。
 でもそういうわけじゃなくて、そんな時でも前向きな言葉を使うようにしている。
 ――まるで確固たる信念があるかのように。

 とにかく、いい人の周りにはいい人が集まる。
 そうじゃない自分には人さえも集まらない。

 自虐的に思いながら鼻で笑う。
 私はスマートフォンを机の上に置いた。

 自分で自分の心を抉っていることには気付いてる。
 けどそれが当たり前になってるんだから、どうしようもない。

 

「瀬戸さーん!」

 少し先で大きく手を振る一ノ瀬くんの姿が見えた。
 私は小さく手を振り返す。そして彼の後ろに見える大きいドーム型の建物を見た。

 まさか、家の近くにある体育館でするとは。

「瀬戸さん、ここから家が近いんだ?」
「うんまぁ。でもここでやるとは思わなかった」

 大学や職場があるのは、県庁所在地であり県内で一番発展している市。
 けど私が住んでるのは、隣にある小さい町。他の市町村と合併する話がよく出たりするけど、
 町長は頑なに首を横に振る。まぁ別に合併しなくてもやっていけるからだろう。

 何より私が驚いたのは、私が住む町で体育館を借りていたこと。
 大体は市にある大きい体育館を借りるものだ。だってその方がみんな家から近いだろうし。

 どうして市の体育館じゃないのかと聞けば、一ノ瀬くんは困ったような顔をする。

「前はそうしてたんだけど、競争率高くてね。それに、こっちの方が借りやすいし」

 確かに市の体育館は色んな人が借りる。
 部活動の大会とか練習で借りる人もたくさんいるし、競争率はいつも高い。

 その点ここの体育館は比較的空いてる。
 周りには公園があったりと自然も多いし何より静かだ。

 私も運動部で近くの学校に通っていたので、ここの体育館はよく使用していた。
 正直、穴場と言ってもいい。体育館自体も比較的新しめで綺麗だし。

「優希くん!」

 後ろから一ノ瀬くんを呼ぶ声が聞こえる。
 一緒に振り返れば、ポニーテールをした茶髪の女性がいた。

 化粧もしっかりしていて、可愛らしい。
 スポーツブランドの通気性のいい服を着ている時点で、だいぶ意識高いなと思った。

「あ、その子が琴乃ちゃん?」

 ちらっとこちらを見られる。
 私は自分から挨拶をした。

「初めまして。瀬戸琴乃(せと ことの)です」
「初めまして! 私は山之内綾香(やまのうち あやか)です。私達、同い年なんだよ~! よろしくね!
 琴乃ちゃん、可愛い名前だね」
「いや、そっちの方が可愛い名前だと思うけど」
「嬉しいな。ありがとう!」

 きらきらした眩しい笑顔を向けられる。すごい。女子女子してる。
 ていうかおしゃれ。しかも可愛い。本当に同い年なのか疑いたくなる。
 私もこんなににこにこできたら可愛くなれるんだろうか。……いや、難しい気がする。

 そんなことを思いながら、三人で体育館の中に入った。

「一ノ瀬遅いぞー。あ、瀬戸さん久しぶりー!」

 体育館に入れば、工藤くんの姿があった。

 大学の時より体格がさらによくなった気がする。
 確か今は自動車会社の営業をしているはずだ。久しぶりの再会で、より男らしくなった。

 他は私の知らない人達ばかりだった。
 聞けば兄弟や姉妹とか、友達の友達で来ている人もいた。

 同い年もいれば年上もいたり、年下もいたり、けっこう幅広い。
 二十人以上当たり前のようにそこにいて、こんなに人が集まるものなのかとびっくりする。 

「えー今日は俺の大学の同級生も来てくれてます。瀬戸さんです!」

 今日来るメンバーが揃ったのか、唐突に紹介される。
 その場で拍手が起き、私は小さく頭を下げつつ「よろしくお願いします」と言った。

「じゃあさっそく始めようか。瀬戸さん、基礎から教えてもらってもいい?」
「え」

 いきなりだな。大体、遊びでスポーツをするなら基礎なんてあまり楽しくないものだ。
 部活で習っていた時からそう思っていた。ただ、それじゃあ上手くなるわけがないんだけど。

「基礎ができないと応用もできないだろ? 教えてほしいな。先生」

 先生、の部分だけおちゃめに言われる。
 なかなか憎めないキャラだ。

 確かにその通りなので、頷く。

「じゃあ、まずはパスの仕方を教えます。パスには二種類あって、上のパスをオーバーパス、下でするパスを
 アンダーパスと言います。まずオーバーなんだけど、頭の上に三角を作るように手を置いて下さい」

 自分でもやりながら説明する。
 みんなも同じように頭の上に手を置いてくれた。

 実際部活の時に教わったことを、みんなに教えていく。

 パスが終われば今度は試合の簡単な説明。
 どこが何のポジションなのか、どんな役割があるのか、どの時に動けばいいのか、伝える。

 人にバレーボールを教えるのは初めてだけど、みんな熱心に聞いてくれる。
 もっと適当にやると思ってたから、ちょっと意外。

 でも真剣な様子に、私も自然と熱が入る。
 練習していくうちに、どんどんみんなが上手くなるのが目に見えた。

 休憩を挟んで、今度は試合を行う。

 練習でできたことが試合でもできて喜んでいる子もいた。
 それを見て私も微笑ましい気持ちになる。

 けど、やっぱり元々スポーツが苦手な子は、何度も同じ失敗をしていた。

 失敗はつきもので、そんなに気にする必要はない。
 大体、これは遊びで大会とかじゃないのだから。みんなで楽しめたらいい。

 そう思っていたけど、何度も同じことが続くと、いらいらしている自分もいた。
 それは同じチームだったからかもしれない。

「あっ」

 同じチームの高校生の女の子が、相手のサーブを拾えなかった。
 これでもう三、四回目くらいかもしれない。私は「ドンマイ」の一言も出なくなった。

 無意識のうちに溜息が出る。
 本当に無意識だった。

 だけどそれを、その子は感じ取ってしまった。
 分かりやすく怯えられるような顔をされる。

 それを見てはっとした。無意識に、人を傷つけていたことに気付いた。

「お疲れ様」

 休憩中、私はあえてみんなと少し離れたところでスポーツドリンクを飲んでいた。
 端っこで座っていると、綾香ちゃんが傍に寄ってくる。

「どうして一人でいるの? みんな、琴乃ちゃんと話したがってるよ」

 じゃあ話しかければいいじゃない、なんて言えるほど偉い立場じゃない。

「ちょっと、ね」

 先程のことを思い出して気が重くなる。

 自分のしてしまったことを素直に人に話すのは勇気がいる。
 初対面の人になら尚更。

 すると綾香ちゃんは、隣に座ってきた。
 そして優しい声色で言ってくれる。

「何があったか知らないけど、大丈夫だよ」
「…………」
「みんな優しい人達だから。それに、人は助け合うものだし。ほら、『人』って字は支え合ってるでしょ?」

 言われてみれば、確かに一人と一人が支え合ってる。
 そうか、そうやって「人」って字はできてるんだ。

 なんでだろう。なんだか、ほっとする。
 今までそんな風に言ってくれる人、今までいなかったかもしれない。

 何か失敗したら、咎められることばかりで。
 大丈夫だよ、なんて言ってくれる人、いなかった。

 今日が初対面なのに。いや、初対面だから?
 戸惑いつつもその優しさが身に染みる。

「そうそう」

 急に声が聞こえ顔を上げれば、工藤くんがいた。
 眩しい笑顔を向けてくる。

「みんな、仲間っていうか家族みたいなもんなんだ。だから無礼講。気にしなくていいよ」
「……でも、失礼なことをしてしまうこともあるかも」

 どんなにいい人達に囲まれても、親しき中にも礼儀ありという言葉がある。
 知らぬ間に失礼なことをしたくない。

「誰だってそんな時はあるよ」

 一ノ瀬くんまで来てくれる。

「それに、もし失礼があったら謝るだけ。それだけで許してくれる」

 一ノ瀬くんの言葉に、みんな頷く。
 その顔は、優しく笑ってくれていた。

 まるで大丈夫だよ、と言ってくれるように。

「……ありがとう」

 自然と言葉に出た。
 人にお礼を言うのも、久しぶりだった気がする。

「今日は来てくれてありがとう」

 体育館から出て、一ノ瀬くんにお礼を言われる。

「こちらこそありがとう。すごく楽しかった」
「ほんと!? よかったぁ」
「それに……みんなすごく温かい人達だった」

 休憩の後、高校生の女の子に謝った。
 その子は驚いた顔をして謝り返してくれた。

 相手は何も悪くない。謝らなくていいと返せば、首を振られる。
 互いに謝り過ぎて、周りで見てたみんなに笑われた。

 私もつられて笑ってしまう。
 その子もくすくす笑っていた。

「また次もぜひ来てほしいな」
「うん、ぜひ」
「琴乃ちゃーん!!」

 後ろから綾香ちゃんが走ってくる。
 その勢いのまま抱き着かれた。

 どう返していいか分からずそのままでいると、綾香ちゃんはスマートフォンを取り出す。

「ねね、写真撮ろう! 同い年組みんなで!」
「俺も忘れんなよー」

 工藤くんも小走りでやってくる。

 写真は苦手な方だけど、断るつもりはなかった。
 むしろみんなとの写真なら欲しいと思った。

「はい、チーズ!」

 写真の自分は、思ったよりも楽しそうで。
 いつもよりいい笑顔をしていると思った。

 社会人になって誰かと会って話す機会が減ったけど、
 こういう出会いもあるんだと知った。今日はみんなに出会えて、よかった。

「ただいま」

 家に帰れば、お母さんがいた。
 今日は仕事が休みの日だ。

「おかえり。あれ、いい顔してるじゃない」
「え、そう?」
「うん。いつも仕事の後は暗くてつまらなそうな顔してるのに、今すごく楽しそうな顔になってる」
「……うん。楽しかった」
「行くか迷ってたけど、行ってよかったみたいね。着替えたらご飯にしよう」
「うん」

 早足で自分の部屋に向かい、備え付けられてる鏡を見る。
 確かに表情が明るい。こんなに明るいのはいつぶりだろう。

 ふと、スマートフォンが鳴る。通知が来たようだ。
 何の通知だろうと見れば、目を丸くした。

『今日は仲間とスポーツした! 初めて来た同級生も楽しんでくれたみたいでよかった』

 可愛い絵文字と共にそんなツイートが書かれている。
 一瞬、今日会ったメンバーのだろうかと思うほど。

 ……だけど、違う。このツイートは「慧(けい)」さんのだ。

「まさか、ね」

 たまたまだろう。私は気にしないことにした。

 今日がよっぽど楽しかったのか、スマートフォンを置いてすぐにお母さんの元へ行く。
 身体を動かした後のご飯は美味しくて、お母さんとの会話も弾んだ。

 終わり 

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