どすん!!!!
目の前に司東が跳躍で飛んできた。
「逃げちゃ駄目でしょ」
そう言って黒い羽の風穴で河野従八位を巻き込んだ。
河野従八位が悲鳴を上げる中、司東は満足げにげっぷをした。
「さすがの『食欲』だな、司東」
巌虎が帰ってきたそう司東へ言った。
「なかなか美味い天使がごろごろといますね、ここには。若くて血が新鮮」
悪魔、司東。
羽の能力、「食欲」。
あらゆるものを吸収して食べ尽くす。
悪魔教団は再び動き出した。
「さて、土喰はどこか」
巌虎が唸り声をあげ、歩きだす。
すでに悪魔教団は四十名の天使を殺していた――。
一方、乙《いつ》の丹戸従八位率いる多聞衆は己《つちのと》の手の者と接触していた。
己には「野花」という土喰上八位が厳選した親衛隊が属している。
だが、丹戸の親衛隊である多聞衆も生半可な者達ではない。
両者がばたりと出会った時、丹戸従八位も野花の隊長日栄《ひえい》従八位もふと、目を見てお互いに理解したところがあった。
「もう相当の天使が倒れている。これからは共闘して悪魔をほふるべきだ」
日栄従八位がそう言ったのを、丹戸従八位は聞き入れて、己《つちのと》の手の者と乙の手の者は共闘体制を取ることとなったのであった。
沢で水を汲んでいた土喰上八位と燕尾従八位は、他班から攻撃を受けていた。相手の腕には「辛」の文字がまかれている。
二人で戦うまでもなく燕尾従八位が片づけてしまってから、樹海へ戻ろうとすると、地響きが起こるのを、突然、感じたのであった。
「なんだ……?」
「さあな」
土喰上八位と燕尾従八位が怪しむ。
実はこれは乙と己の連合による敗残兵との戦闘音であった。
「とりあえず、適当な場所で敵が来るのを待とうぜ」
「そうだな。いや、それもいいが、あの音はずいぶん派手だな……。もしかしたら巌虎かもしれない。確かめに行くか?」
「悪魔ならやり甲斐がありそうだな」
「もし悪魔でなくとも、あの音なら悪魔も惹きつけるだろう。行ってみる価値はあるだろうな」
「じゃ、行こうぜ」
「ああ」
そうして二人は樹海の中を歩いて行った。
乙《いつ》及び己《つちのと》連合と庚《かのえ》の戦闘は大規模なものとなり、天使たちはしのぎを削った。だがそれを止めたのは意外な者どもであった。
――悪魔だ。
悪魔たちが戦場へ飛び出てくると、天使たちと三つ巴の大乱戦となった。その様子は凄惨なものであった。
そして、そこへ到着したのが――土喰上八位と燕尾従八位であった。
ほとんどの天使も悪魔も倒れている中、伏本が血反吐を吐きながら言った。
「あれが……土喰です、巌虎、様……」
伏本が倒れる。
残ったのは巌虎と少数の悪魔のみであった。
乙も己も庚もほぼ全員倒れている。
その光景を見た土喰上八位と燕尾従八位は――。
「なんて面白そうなことをしているんだ、お前たち」
「いいじゃねえかあ、ああ? ははは」
会心の笑みを浮かべた。
悪魔たちが構える。
土喰が哄笑する。
「いいな。なかなか良い。悪くない。悪くないぞ、悪魔ども。その闘志、力。悪魔はそうでなくてはな!」
土喰上八位が言った。
「やっちまうかぁ? なあ! なあなあなあ!! 土喰!!! やっちまって良いんだよなあ!!!!???」
燕尾従八位がいかにも楽し気に言った。
悪魔の中から歩み出てきた一人の巨漢が名乗った。
「巌虎だ。お前が土喰だな? 野ブタを殺した愚か者だ」
土喰が狂暴な笑みを浮かべ、糸目からきょろりと目玉を覗かせて巌虎を見た。
「蒼い巌虎……。確か服部従八位の偵察でそう呼ばれていたと知っている。なかなかの男なのだろう。良い気が見える。ふむ。燕尾、他の悪魔は何人でも任せる。巌虎は僕が狩らせてもらおう」
「さきにこっちが片づけちまったら、俺が巌虎も狩っちまうぞ。いいな?」
「ああ。もちろんだ」
それから巌虎と土喰は向かい合って歩み寄って行った。
「土喰、羽を見せてみろ」
「巌虎、お前も一緒に見せ合いっこしようじゃないか」
「そうか……そうだな」
巌虎が黒い羽を広げる。
正確には黒い液体が羽の形をしているものであった。
「なんだ。見たことが無い羽だな」
土喰上八位が言った。
「能力も汎用性が高くてな、色々と使える。例えば――」
巌虎が羽の液を飛ばす。
その液は空中で槍のように狂暴化して襲ってくる。
「おっとっと」
土喰上八位がジャンプをして逃れる。
それからニヤついて羽を伸ばした。
それを見た巌虎が、目をわずかに見開く。
「なんと……」
巌虎がいかめしい顔をしつつ、恍惚とした表情になる。
「なんと美しい花弁であろうか」
「純銀の花弁」。
「これが僕の能力だ。これで野ブタも殺した。実力の端くれ程度しか出せなかったがな」
土喰上八位が言った。
「安心しろ。俺は強い。存分に戦え」
巌虎が言った。
巌虎が羽の黒い液を全身に貼りつかせて、身体を巨大化させた。
元が巨漢なだけに、迫力があった。
「ほほう。満更でもない」
土喰上八位はニンヤリと笑む。
土喰上八位が足元になぜか落ちていた軍刀を拾う。
司東が風穴から出したものだ。
それに銀の鞘を被せてやりながら、土喰上八位が軍刀を引き抜き、銀の花弁で刃を研ぐ。
そしてまた鞘に納めて地面にとん、と突いて手を置く。
だが、それ以上は動かなかった。
「蒼い巌虎、来るならどこからでも来ると良い。三十秒、好きにさせてやる」
「敵を侮るとは、底が知れるな、土喰」
「まあ、試してみろ」
「では、ゆくぞ」
「来い」
そして、巌虎が凄まじい脚力で地面を蹴って飛び出して来た。
「巌の――初めぇ!!!!」
重い一撃が打ち込まれる。
土喰上八位はそれを純銀の花弁の一枚で防ぐ。
防げたが、へこまされた。
凄まじい膂力だ。
「プラス五十パーセント!!!」
さらに重い一撃が下りてくる。今度はわずかに花弁を突き抜かれた。
「プラス百パーセント!!!」
土喰は花弁は二枚重ねて防御した。
それでも重い一撃。
「プラス五百パーセントぉおお!!!!」
二枚の花弁がひしゃげる。
「プラス……千パーセントぉおおおおおおおおお!!!!!」
二枚の花弁が突破されるが、パンチ自体は止まった。
土喰上八位が笑む。
「なかなかだ。存外、悪くない。――だが哀しいな。三十秒経った。お遊びは終わりだ」
土喰が糸目から目玉を見せた。
怖ろしく冷めた目であった。
「力勝負でもしようじゃないか」
そして巌虎の拳と純銀の花弁を細めたもので殴り合った。
両者が激突し、空気が揺れる。
地面を轟音が轟く。
木々がすさぶ。
先に唸り声をあげたのは巌虎の方であった。
右腕がめちゃくちゃに骨折していた。
だが、その代償として――、
「? ……これは」
土喰上八位のハラワタが飛び出ていた。
巌虎との激突の衝撃波に斬られたのだ。
「これは……これは、く、くくく、かっははは!」
あろうことか、土喰上八位は豪快に笑った。
「いいぞぉ……。いいぞ、巌虎ぁああ! 蒼い巌虎ぁああああああああ!!!!」
土喰がハラワタを手でつかんで腹に収め、銀で傷口を縫いながら、構える。
「巌虎ぁ!!! もっとだ。もっともっと楽しませろぉおおお!!!!」
巌虎がうすら寒いものを感じて眉をひそめる。
「お前の様な天使が居てたまるか」
そして二人が再び衝突する。
純銀の花弁によって殴り合う土喰と、黒い液の羽で身体強化をして殴り合う巌虎。
どちらもすさまじい力と速度であった。
だが、終わりというものは突然やってくる。
――!
巌虎の動きが、一瞬、止まった。背中に屍種が取りついたのだ。――燕尾従八位が他の悪魔を全て倒して、巌虎を狙ったのだった。
それに気を取られている一瞬に、これは何と言うべきか、土喰上八位にとっても「不本意に」決着がついた。土喰上八位の軍刀が巌虎の心臓を貫いたのだ。
……――。
倒れる巨体。
「おい! 燕尾! この、横やりを入れ腐って!!!」
土喰上八位が燕尾従八位へ怒鳴り散らす。
燕尾も不満足であることは同じらしい。
「知るか。こいつが弱いのが悪い」
燕尾従八位が言った。
そして二人が欲求不満でいると、
――っっ!
最初、背中を向けていた土喰上八位と燕尾従八位はその影が立ち上がるのに、
「なんだぁ?」
とのんきに振り返った。
見れば、心臓を縫合しつつ、巌虎が立ち上がっていた。
その初撃が土喰上八位と燕尾従八位を吹き飛ばされる。
土喰上八位が地面を転がって巨木へ激突し、軽く血を吐いてからのろのろと起き上がった。
燕尾従八位も同様に立ちあがる。
「燕尾ぁ!!! 手を出すな! こいつは、僕の獲物だぁ!!!!」
そう叫んで土喰上八位が快笑しつつ樹海を駆け、軍刀を拾って羽の花弁を六枚伸ばして巌虎の巨体へ襲い掛かる。
「巌虎ぁああ!!! これが、これで、最後だぁ!!! キレイに食ってやるから、脳みそ見晒せえええええええええええええ!!!!」
瞬間、両者がぶつかり――。
巌虎の頭部が「ひしゃげて」、ついに倒れて二度と起き上がらなかった。
その頭部から脳を取り出して食い散らかし始める土喰上八位。
それを始めて見た燕尾従八位が苦笑いの様な、嘲笑のようなものを浮かべる。
「おいおい。カニバリズムかよ。土喰上八位様よぉ」
構わず食い散らかす土喰上八位。
「そうか……。野ブタの脳みそを食ったのもあんたか。イカレてるぜ……まったく。くく。笑えるほど悪趣味だぜ。お前って奴は」
燕尾がそう途方に暮れる中、昇任試験の時限が来て、終了の放送音が流れてきた。
「おい、土喰上八位」
巌虎の脳みそを食った直後の土喰上八位に燕尾従八位が話しかける。
「あんたが悪魔の肉を食うことは、趣味が悪い奴程度に思っといてやるよ。だから、とっとと帰ろうぜ。土喰上八位」
「……ああ、燕尾従八位」
そうして、二人はわずかな健常者として昇任試験を乗り越えたのであった――。
「大変栄誉あることに、土喰上八位及び燕尾従八位は侵入した悪魔集団と交戦、勝利した。これは特進に値する戦果である。よって――」
長い訓示や飾り言葉などの後、土喰上八位と燕尾従八位は共に二段昇級をなされ、土喰上七位と燕尾従七位に叙された。
そのほかにも多くの者が一階級昇級された。
これによって土喰上七位と燕尾従七位の二人は火十字勲章までも与えられた。
多くの者が叙勲、昇任され、土喰派閥にはっきりとした上下関係が生まれた。
今のところ、最高の位は土喰上七位となっているが、その下の従七位に勲章が付いている者が次に立っており、その次が従七位の勲章なし。次が上八位の勲章付き。さらに次が上八位の勲章無し。一番下が従八位の勲章ありとそれに次ぐ勲章無しであった。
土喰上七位とまともに話せる相手は限られてきていた。明らかに規格外の羽の能力に、殺害した悪魔二体のなぜか脳が失われていること。まことしやかにささやかれる、
「土喰上七位は悪魔の脳を食う」
という噂。
まるで怪物であった。
そうなると、話せるのは派閥の幹部らと、――そして、もっぱら話をすることが多くなったのは、……燕尾従七位であった。
この後も二人は度々衝突しつつ行動を共にすることとなるのであった。
これが「純銀の花弁」と「屍の城」の門出であった。
いつもの寮のいつもの喫煙室で大名行列を連れて煙草を吹かしつつ酒まで持ち込んで団欒を楽しんでいた土喰上七位。
磯場上八位が一階級上がった上で猫として誇りを持って「天使論」をくっちゃべっていた。
天使論とは、天使に求められる道徳学であり、警察学校で学ぶ座学である。
猫でありつつ酒を、しかもウイスキーをちろちろと舐める磯場上八位相手に土喰上七位が葉巻を吹かしつつ笑って答える。
「正義はあらゆる思想の貴族だとは思わないな、僕は。正義も平民だ。まあ、磯場上八位はそうは思っていないようだが」
「土喰上七位、俺は正義に生きる人間こそが人間らしい人間だと思いたいんだ。そのためには正義に思想の貴族となっていてもらわなければならない。そうではないか?」
磯場上八位がそう言い、グラスのウイスキーをちろ、と舌を出して舐めた。
「頷ける道理だな。だが、語るべきは理想論ばかりとは限らない。現実を見るということも、一つの修行だ。世にも廃れた苦行修行の類がごまんとある」
土喰上七位がニヤリと笑い、言った。
「嘆くべきは人が正義を利得と融和させようとしてしまうことだ。いつの世も、権力者であろうとなかろうと、正義は凌辱されてきた。悪魔と天使が殺し合うこの世紀はまさに正義が輪姦されてゆく時代。下らないどころか上りもしない世よ」
土喰上七位がウイスキーを飲むか茶を飲むか迷って、ウイスキーを選んだ。頬に紅が差す程度に飲んで、磯場上八位という猫との談義に花を咲かす。
他の護衛の者達も昇任により給料が上がり、酒を嗜んだり、煙草を嗜むようになっていた。
体が火照ってくると、土喰上七位は茶を飲み始めた。
ちょうどアルコールで喉も乾いていた。
「酒で乾いた喉に茶は心地良いな」
土喰上七位が磯場上八位へそう言った。
「しかし、お前もうまく昇任したものだな。派閥内で上七位の人間は土喰上七位、お前一人だよ。これでしばらく派閥の秩序も安定するな」
磯場上八位が言った。
「出世頭でなければ派閥が安定しないと?」
土喰上七位が言った。
「当たり前だろう」
磯場上八位が言った。
「ふふ、だがな、磯場上八位、そこで酒を飲んでいる丹戸上八位は位は低くとも『野花』並みの精鋭である多聞衆を作り上げたぞ。階級は確かに人を従えるが、階級に依らない統率というものもある。問題なのは人間として優れているかということと思われがちだが、さらに問題なのは自分を演出する技術を持っているかどうかだ。自分を上手く演出する人間ほど仲間から指導者、敵からは扇動者と呼ばれる。物の見方は千差万別だな。ふふふ」
土喰上七位が穏やかな口調でそう語る。
磯場上八位が言う。
「確かに土喰上七位の言う事にはいつも理がある。だが、果たして本当に現実論だけが思想であろうか。そうではあるまい」
磯場上八位が目をまあるくさせつつ、猫なりに笑いを含んだ語調で言った。
土喰上七位は磯場上八位との穏やかな談義が好みであった。
この猫は頭が切れる。
寮ではこの磯場上八位に知られていないことは何も無いと言われていた。
磯場上八位が付いているポスト。
それは派閥内の公安である。
警察を見張る警察。
その公安の派閥版である。
仲間内では「極卒」と呼んでいた。
磯場上八位は極卒官長というポストが正確な名称である。
清く正しく、が獄卒官長のすることとは限らない。
これは妙な話となるが、「正当な賄賂」「正当な汚職」なるものが成立する場合がある。
それを奨励するのも極卒官長の業務の内である。
そんなポストに就いていると、磯場上八位はしみじみとこんなことを言うようになった。
「警閥は重箱の隅まで腐っているな。警察の同窓たちが作った派閥ですらそれがよく分かる。賄賂も汚職も、水が低きに流れるように当然と行われる。これで警察かつ国家であるとうそぶくのであるから、警閥は手に負えない」
磯場上八位を極卒官長へ推挙した張本人として、土喰上七位はその愚痴を聞いてやる必要があった。
「どこの組織も今はダーティープレイが基本となっているのだ。情けないが、警閥が主導してな」
土喰上七位がそう言った。
「まったく、猫が見る人間の世はひねくれているよ」
磯場上八位が言った。
「僕は案外嫌いではない。僕には警閥のダーティーさが性に合っているようだ」
土喰上七位が言った。
「どんなに警閥がダーティーであろうと、国家として一応の秩序を継続させている点は確かに賞賛に値する。この悪魔犯罪が多発する時代に国家を守り通すには警閥という形を取るしかなかったとも言えるのだろう。だが、俺は猫だ。人間には従わねえ。従うのは能力にのみだ。力に従うというのが俺のスタンスだ」
磯場上八位が言った。
「同窓のよしみを大事にした方がいいぞ、磯場上八位。我々五十一期生は、もう少し派閥だけでない友情を養うべき時期なのかもしれない。それには極卒で縛り付けるばかりではならない」
土喰上七位が言った。
「おいおい。極卒が職務を放棄すれば派閥は崩壊するだけだぞ」
磯場上八位が言った。
「正気か?」
これも磯場上八位である。
なかなか生意気な猫である。
「確かに極卒を捨てるわけにはいかない。敗残兵なぞ、極卒が目をそらした途端に派閥を割りそうだ」
「いや。これは極卒仲間からの情報だが、敗残兵は分というものをよくわきまえている。自分たちだけでは派閥を形成できないと知って、大人しいものだ。土喰派閥の中で派閥内派閥を構えていることが堅実な手段だと良く知っている」
土喰上七位の言葉に磯場上八位がそう返した。
「ほう。連中もずいぶん出世したが、派閥を割るつもりは無いと思って良いのだな?」
土喰上七位が糸目で鋭く猫を見つめた。