作画:chole(黄泉子)
昔、考古学ゼミで発掘の手伝いをしたことがあります。発掘といっても古代遺跡ではなく、江戸~明治初期のお墓の発掘です。
夏休みに民俗学ゼミの生徒と合同で、ある山間の町で一週間ほど泊まり込んで発掘をおこないました。
町の中心地から車で20分ほどの場所で、鬱蒼とした林の中にありました。真夏にも関わらず、どこかひんやりとした空気が漂っていたのが印象的でした。
なぜここを発掘することになったかと言うと、今後この地域も開発していくであろうことが予想されているので、余裕を持って遺骨などの調査をしておきたいという理由でした。特に元は墓地だった場所ですので、早めに遺骨を集め整理して町の寺の方に安置しておきたいというのもあったのかもしれません。
到着したその日から、私たちは人骨や衣類の破片を拾う作業をおこないました。
江戸時代辺りだと日本では土葬が当たり前でした。土葬というと西洋のような四角い棺桶に遺体を寝かせて埋めるというのを想像する人が多いですが、日本の土葬は大きな桶に膝を折った状態で座らせて蓋をし、深い穴を掘って埋めます。
江戸から明治くらいに土葬されたものなら、桶はもう分解されてしまい残っていません。遺体も白骨化し、ボロボロになった衣類の破片などを見ることが出来ます。桶が残っていても、丸ごと残されているということは滅多にありません。
私たちが発掘したこの墓所跡も、バラバラになった人骨ばかりでした。
毎日骨ばっかり見てるわ…と疲れが出始めた5日目。民俗学ゼミの生徒が木箱が埋められているのを発見しました。
木箱そのものは相当古いものの、ボロボロというほどでもなく、造りもしっかりしたものです。
蓋に打ち付けられた釘を見て「わりと新しいな」と教授が言いました。
金属製の釘を使っていることから、私たちが見飽きている江戸~明治期のものでないと分かります。
一緒に発掘に参加していた町役場の人から許可をもらい、木箱を開ける事にしました。
徳川の埋蔵金でも入ってたりして…と軽口を叩いていた私たちは、箱の中を見てはっと息をのみました。
箱の中には、大きく口を開けた白骨化した遺体があったのです。衣類の状態から見て、ここ70年くらいのものと教授は判断しました。
そして箱の底には短刀のようなものが転がっており、刃はドス黒く汚れていました。血に間違いありません。
殺害した死体を凶器ごと箱に入れて埋めた…?まるでサスペンスドラマのようなことを考えていると、教授たちが蓋の裏を見て言いました。
「これは生き埋めにされたな」
箱の裏には、ガリガリと爪で引っ掻いたような跡が生々しく残っていました。うっすら変色している場所は、爪が剥がれたか皮膚が破れたかした手で掻いたからでしょう。
「何かあって生き埋めにされて、自分の持っていた小刀で自殺したんだろうなぁ」
教授たちはそう判断しました。
木箱の遺体は町役場の人に預けることにしました。
後日、民俗学の教授とあの遺体の話をしていた時にこんな話を聞きました。
「隔絶されたムラ社会だと、現代人では考えられないような私刑というのが普通に存在していた。あの遺体は単純に悪さをして罰せられたのではなく、もしかしたらムラ社会独特のルールによってあんな目に遭わされたのかもしれないね」
おいらはこの話に、人間の怖さを感じたよ……。
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今日のお話はとてもリアルだよ。
何がリアルかって? それを、一緒に観ていこっ。