前:トンネル坊や
作画:chole(黄泉子)
一度だけ、お寺に泊まったことがあります。宿坊とかではなく、お寺の住職のご厚意に甘えて母屋にある客間に泊めて頂きました。今から5年ほど前のことです。
当時私は市内にあるお寺を回って、住職の方々から終活についてお伺いするという仕事をしていました。これがなかなかハードなもので、多忙を極める住職さんのご都合に合わせて取材をしていたため、非常に不規則な生活になっていました。
泊めて頂いた寺の住職さんを訪ねたのも、夜20時を回った頃で、取材を終えたのは22時近く。そこから自宅へ帰るとなると日付は変わってしまうほどでした。
「これからお帰りになるのですか?それは大変でしょう。良かったら、客間に一泊していってください」
本堂の中から出ようとした私に、住職さんは笑顔で言いました。
「こんな遅くに、しかもお仕事でお疲れの時に車を運転なさったら疲れが取れないでしょう。それに、夜中に女性が一人で帰るのはこのご時世とても危険です。家内に部屋と風呂の用意をさせますので、どうぞお泊りください。私の都合に合わせて取材を申し込んで頂いた、せめてものお礼です」
丁寧なお誘いに、私も断るのがなんだか悪い気がして……住職と奥様のご厚意に甘えて一晩だけお世話になることにしました。
取材をしていたのは本堂の中で、住職ご一家のお住まいは本堂の脇にある平屋住宅です。そこに案内される時、墓地を横切りました。お寺で管理されている広い墓地は、昼間より鬱蒼としてどこか寂し気な雰囲気を漂わせていました。怖いと感じなかったのは、どの墓にも美しい花が供えられていたからでしょう。
月明かりに照らされた仏花が、暗い墓所に彩りを添えていたのです。
「うちの墓地にはね、いつもたくさんの方がお参りに来るんですよ。墓地や寺の近くに家や店を出すのは不吉だってよく言うでしょう?でもね、墓地という場所は本来美しいものなんです。たくさんの方がお参りに来て花を供えて、華やかな美しい風景が広がる。うちの寺の前にお店を出した方なんてね、この風景が花畑のようで美しいと言ってくれました。墓は寂しいものじゃないんですよ」
ゆったりとした住職の言葉は、私の中にある墓地の印象を変えるものでした。確かに、夜でも映える色とりどりの花が供えられた墓地に恐怖は掻き立てるものは無いように思えました。
しかし、墓地の一角だけ……花も何もない暗い空間がありました。墓石もこじんまりとして、古く粗末なものです。
「あの、あそこは何ですか?」
「あぁ……あのお墓はとても古いんです。江戸時代くらいですかね。無縁仏のですよ」
無縁仏……弔う者がいない墓と聞いたことがあります。近年でもその数は増えており、ちょっとした問題になっているとか。しかしそれが江戸時代ともなると、ちょっとした歴史遺跡のような印象になります。
「そんなに古いものでしたら、管理するのも難しいのではないでしょうか?何故ずっと残しているのですか?」
「あそこの仏さんは、どうも難しくてねぇ……」
はっきりしない回答に、私は少し違和感を覚えました。
そうこうしているうちに母屋に着き、奥様が用意して下さった客間で朝までゆっくり休むことにしました。
真夜中に、私は目が覚めました。自宅ではないせいか、どうも眠りが浅かったのです。枕元に置いた時計を見ると、まだ午前2時を過ぎたくらい。こんな半端な時間に起きてしまい、朝まで熟睡できるか少し不安になりました。
その時、どこからか妙な声が聞こえて来たのです。
うぅ……うぅぅ……
呻くような奇妙な声でした。私は布団から飛び起きました。住職が奥様が具合を悪くして唸っているのかと思ったからです。
ですが、その声は家の中から聞こえて来るものではありません。外から、聞こえて来るのです。
客間の窓を開ければ、目の前には墓地が広がっています。煌々と輝く月に照らされた墓石と供花……絵画的な風景の中に、蠢く白い影を見つけてしまいました。
それは、あの寂し気な無縁仏の墓の周りにゆらり、ゆらり……とゆらめいていたのです。
やばいものを見つけてしまった、と体にぞわっと悪寒が走りました。
その白い影は、一人ではありません。一人、二人、三人……もっといたかもしれない。よく見ると、それは髪を結い上げ豪奢な着物を着た……少女、いいえ、少年でした。
女物の着物を着た少年の幽霊。見たこともない奇妙な出で立ちの亡者たちに、私は悲鳴すら上げられず、窓から呆然とさまよう姿を眺めていました。
うぅぅ……おっ母、おっ母……
ぐるじい……ぐるじい……
呻きの中に聞こえる微かな声。それはこの世への、人への怨みというよりも己の短い人生への無念と寂しさに満ちていました。
墓地の狭い隙間をさまよう姿を、私はいつまでも眺めていることは出来ず、そっと窓を閉めて耳を塞いで眠る努力をしました。
翌朝、寺を出ていく前に住職に昨夜見たものについて話を伺いました。彼は一瞬驚いたような表情をしていましたが、すぐに目を伏せて低い声で言いました。
「ここいらには昔、陰間茶屋があったんですよ」
「陰間……?」
「知っている人は少ないかもしれませんね。陰間というのは、簡単に言うと江戸時代にいた男娼のことです。吉原の遊女の男性版みたいなものでしょうか。うちの寺にある無縁仏、あれはその陰間たちの墓なんですよ」
あの少年たちが、そんな存在だったとは……。私は歴史に詳しくありませんが、薄命だった遊女たちが死ぬと無縁仏になったと聞いたことがあります。現在の吉原ソープ街の一角には、その墓がまだ健在だとか。
「陰間は最初、歌舞伎役者の卵ばかりでしたが、時代の変遷と共に売られてきた子たちがやるようになっていきました。遊女と同じですね。あそこはそんな少年たちの墓なんです。売られてきた名も無い子供たちは、今も親恋しさに成仏できないのでしょう」
陰間は遊女とは異なり、ある一定の時代に隆盛を極め、その後衰退していったといいます。時代と共に忘れられた悲運の少年たちの魂は、今もなお無縁仏の墓にとどまったままなのでしょう。
願わくば、住職が代替わりしてもあの墓が守られていきますように……
怖いけど、ちょっとだけ悲しい話に感じたよ。
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ねえ、無縁仏(むえんぼとけ)って知ってる?
供養してくれる者がいない仏様のことを言うみたいだよ。