前:布団の上から
作画:chole(黄泉子)
タクシーの運転手さんって、色んな人がいますよね。
ものすごく若い女性だったり、英語がペラペラの人だったり…外国人観光客が増えていますので、英語が喋れる運転手というのは、需要があるんでしょうね。
でも、僕がお会いしたことがある運転手さんは圧倒的に年配の男性ばかりです。
定年退職した後に、バスやタクシーの運転手になる方が最近は増えているようですよ。
昔と違って、年金だけで生活できるわけじゃないし、子供の結婚や孫の世話で何かと入り用になったり、家のローンが残っていたり…元気なうちは働いて稼がなきゃいけない時代なんですね。なんとも世知辛い世の中になったものです。
そういう年配の運転手さんは性格も様々で、客と会話をしない寡黙な人もいれば、どんな客とでも世間話をする愛想の良い人もいます。
僕は仕事柄、飲み会が多いので、夜中にタクシーに乗って家に帰ることが多いです。乗車するたびに、楽しい思いをすることもあれば、不愉快な思いをすることもあります。
たくさんのタクシードライバーと話す機会がありますが、一度だけ不思議な…そして少し悲しい気持ちになったことがあります。
あれは、僕が入社して4年ほど経った時のことでした。
その日、社内接待があった僕はギリギリ終電に飛び乗ったものの、終電に間に合ったという安心感と疲れでぐっすり眠りこけてしまいました。
「お客さん、降りて下さい」と駅員さんに肩を叩かれて目を覚ますと、本来降りなければいけない駅のさらに先まで…終点まで来てしまっていたのです。
名前くらいしか聞いたこともない駅…終電に乗ったのだから、当然反対方向へ向かう電車はありません。
繁華街があるような場所なら、漫画喫茶やカプセルホテルで一夜を明かすことができますが、残念なことにこの終点駅はそこまで栄えた場所ではありませんでした。
仕方ない。懐が寒くなるがタクシーを使って家に帰ろう…。
しかし、こういう時に限って駅の外には一台もタクシーが止まっていません。タクシーを待つ人の姿も見えませんので、もしかしたら普段からあまりタクシーが来ない場所なのかもしれません。
このまま駅前で来るかどうかも分からないタクシーを待っているのも無意味だと判断した僕は、酔いと眠気を覚ます意味も込めてトボトボと大通りを目指して歩くことにしました。
車や人通りが多い場所まで出れば、タクシーも捕まるだろうと思ったのです。
夜風に当たっているの、回った酒が抜けて、頭がすっきりしてきたような気がしました。
閉店した店が建ち並ぶ商店街は、人はおろか猫すら通りません。まるでホラーゲームに出て来るゴーストタウンのような気味悪さが漂っていました。
これじゃどこまで行ってもタクシーなんて見つからない…今のうちに駅前まで引き返そう。
そう思って踵を返そうとした、その時。ノロノロとした速度で一台のタクシーが走って来ました。
なんという幸運!僕は勢いよく右手を上げると、タクシーは速度を落として停まり、ドアを開けました。
「こんばんは。どうぞ」
白い帽子を被った60歳くらいの運転手さんが、にこやかに言いました。
早速乗り込むと、自動的にドアはバタンと閉まりました。
「どちらまで?」
「とりあえずG駅まで行ってください」
「はい。かしこまりました」
彼が言うのと同時に、タクシーは走り出しました。
慣れた手付きでハンドルを切りながら、運転手さんはバックミラー越しに僕を見て、明るい口調で話しかけてきました。
「お客さん、G駅の近くにおうちがあるんですか?」
「はい。実は電車の中で眠りこけてしまいまして…終点まで来ちゃったんですよ」
「おや。それは災難でしたね。じゃあ、この辺りは初めて?」
「初めてですね。一度も降りたことがない。駅前でタクシー拾えなくて困りましたよ」
「あぁ…何もないでしょ、この辺。結構驚く人多いんですよ」
「確かに終点駅にしては寂しいですね。でも、無事にタクシーに乗れて良かったです。これで帰れる」
「そう言って頂けて何よりです。安全運転でお送りしますよ」
タクシー運転手にしては白い顔に、笑い皺を深く刻んで、彼は軽快に話してくれました。
近所の好々爺を彷彿させる親しみやすさ。このタクシーに乗った客はみんな良い気分で降りて行くに違いないと確信しました。それだけ、この運転手は会話力に長けた人物だったのです。
一つの話題からどんどんネタを拾っては投げて来る…職業柄というよりも、この人が元から持っている才能なのでしょう。元々誰かと話すことが好きなのかもしれません。
そう考えると、彼が今タクシードライバーをやっているのは天職と言えるでしょう。
寂しい深夜の住宅街を慣れた様子でスイスイと走り抜けて、車の通りの多い道路に出ました。
真夜中まで営業しているファミレスや24時間経営のコンビニ店、ディスカウントショップの明かりが煌々と輝き、終点駅の閑散とした様子が嘘のように思えてきました。
「こっちまで来た方が色々お店もあるんですね」
何気なく僕が話しかけると、運転手さんは「そうだねぇ…」とチラッと僕を見遣って頷きました。
「この辺は新しい便利な店が多くてね。道路も駐車場も大きくて来やすいから、若い人もこの通り沿いの店はどんどん利用するんですよ。駅前は若い人が喜びそうなカラオケ屋さんや飲食店が無いからねぇ」
「今は大学生くらいでも車を持っていますから、こういう場所の方が行きやすいのかもしれないですね」
「駅前は運転が難しいからね、道も狭いし。でもねぇ…ここらは運転荒いのが多いですよ。スピードの出し過ぎや、煽り運転…酷いのだと飲酒運転までいます。事故が多いんです」
「それは、怖いですね」
窓の外を眺めていると、確かに先ほどから電信柱の根元に花が供えられていたり、自動車事故の情報提供を求める立て看板が設置されたりしている。死亡事故もあるのだろう。
「こういう通りだと、なんだか怖い話とかありそうですよね。あ、でもこんなに明るい場所じゃ怖くないかな」
「無いことは無いですけどねぇ。怖いかどうかは別として」
「へぇ、どんな話なんですか?」
「幽霊タクシーって話です」
瞬間…バックミラーの中の運転手さんにじっと見詰められ、僕の背中にぞくりと冷たい何かが伝いました。
タクシーに乗っている状態で聞くのは憚られるような話です…
「どんな話なんですか?それは…」
「この手の話って、きっとどこの県に行ってもあると思うんですがねぇ。タクシーに乗ったら、それは死んだ運転手が運転する幽霊タクシーだったって話です。うちの孫辺りが好きそうな話ですよ。子供向けのアニメにも出てきそうだ」
笑いながら話す運転手さん。しかし僕は、どうも居心地の悪さを感じて来ました。タクシーに乗っている状態でその話…タイムリーすぎて洒落になっていません。
怖いですね…と声をかけようとした、その時。車内のあるものが目に映りました。
乗車料金を示すメーターです。本来なら数千円分の金額が映し出されているはずなのに、一切何も映していませんでした。
「運転手さん、大変だ!メーター、動いてませんよ。ボタン押し忘れてませんか?」
「…あぁ、これですか?」
運転手さんはメーターをぽんぽんと手で軽く叩いて、
「実はね、こないだ事故った時から動かなくなっちゃったんですよ。大丈夫、頭の中でちゃんと料金は計算してますから」
ちらりと振り返った運転手さんは、苦笑いをしていました。そして正面へと向き直ったその時…僕は見てしまったのです。
バックミラーに映る彼の顔面に、無数のガラス片が突き刺さり、眼球が飛び出しているのを…
悲鳴と吐き気を飲み込んで、咄嗟に俯きました。
降りなきゃ、降りなきゃ、降りなきゃ!
頭の中はそれでいっぱいです。
「お客さん。どうかしましたか?ありゃ、もしかして車酔いかな?少し寝てていいですよ」
「…運転手さん」
「はい、なんでしょう?」
「幽霊タクシーって、あなたなんじゃないですか?」
僕の声はどれだけ震えていたか…。そう言った瞬間、車内の空気は凍り付きました。おそるおそる顔を上げると、驚きと悲壮感に溢れた運転手さんが振り返って、じっと僕を見つめていました。
あぁ、やっぱり…。恐怖と絶望感と…そして少しの悲しさが胸の中に広がりました。
降りたいと願う僕の気持ちを察したのか、タクシーは道路脇に停車しました。降りろと言わんばかりにドアが開き、僕は急いで外へ出ようとしました。
運転席を盗み見ると、死体のように艶の無い白い顔をした運転手が俯いていました。
「そうかぁ…幽霊タクシーになっちまったかぁ…」
悲しみに満ちた悲壮な声でした。なんて声を掛けたらいいか分からず、僕は「ありがとうございました」と月並みの言葉を呟いて外に出ました。
ドアを閉める音はしません。訝しんで振り返ると、そこにタクシーの姿がありませんでした…
その後、何度かあの駅に降り立つ機会がありましたが、例のタクシーを見ることはありませんでした。
運転手の悲しい声を思い出すと、もしかしたら自分が幽霊タクシーだと気付いて成仏してしまったのか…
いえ、僕が見かけていないだけで、まだ走っているでしょう。
あの運転手さんは、お客さんを乗せて走るのが好きそうだから……
おいら、タクシー乗るのが怖くなっちゃったよッ。
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怪談と言えば、タクシーのイメージあるよね。
今日はそんなタクシーの怪談だよ。